[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
経済学部
【沿革】
1932年に旧制関西学院大学は設置認可を受け、同年大学予科が設置され、2年後の学部創設時には3年制の商経学部が法文学部とともに設置された。
専門学校高等学部商科・高等商業学部の伝統を受け継いでの創設であった。
経済学科と商業学科の2学科制を採用し、経済学士と商学士の学位を授与した。
学生定員は120名、初年度の入学者は123名、第1回卒業生(37年3月)は、商学士83名、経済学士30名の合計113名であった。
この第1期生から、小寺武四郎経済学部教授、小島男佐夫商学部教授が出た。
開設時の専任教員はすべて高等商業学部からの移籍であった。
非常勤講師のうち、商学系が主に高等商業学部から招かれたのに対して、経済系は京都帝国大学や大阪商科大学から招かれたために、その影響は経済学部の学統に及んだ。
『商学論究』(1934-43)が新たに学部研究機関誌として高等商業学部と共同で刊行された。
その後48年3月『経済学論究』が後継誌として新たに刊行され、『商業経済時報』(1934-35)も発刊された。
このように研究を重視すると同時に、教育の充実のために1938年、研究演習制度を導入した。
40年になると学生定員は250名となった。
しかし、文科系の学生を3分の1に削減する国策に応じて、44年には商経学部学生の募集を停止し、在学生の教育を法文学部へ委嘱し、教員も国民生活科学研究所や専門学校政経科へと移籍した。
ここに商経学部は大学の一つの学部としてはいったん消えることになった。
戦後の1945年10月に大学が授業を再開するようになると、46年商経学部は経済学部へと名称変更をした。
新制大学制度が発足する1年前の48年に、関西学院大学は同志社大学、関西大学など12大学とともに新制へと移行し、経済学部も4年制の学部となった。
新制直後の49年の専任教員は、公選最初の学部長となった池内信行学部長以下21名で、その他9名の嘱託教員がいた。
当初、商経学部は旧制のもとで商学部と経済学部との分離を計画したが、その実現は51年であった。
〔教育〕学生定員は、1951年の200名、59年の400名、76年になると600名となり、大学の大衆化に対応したが、臨時定員増の関係で91年から2003年までは年度毎に定員に若干の増減があり、2004年には臨時定員増の恒常化により650名に、そして2008年には経法連携コースの新設により680名となって、現在に至っている。
教員についてみると、60年には10の教員グループ制がほぼ確立し、商業英語・商法の関連科目グループが81年になくなると、理論、経済史、経済学史、統計、財政、金融、経済政策、社会政策、国際経済から成る9グループ制が確立された。
それを基礎に立てられたカリキュラムには、以下の特徴が見られる。
すでに旧制から伝統となっていた演習制度は、51年から研究演習制度(Ⅰ・Ⅱ)が、63年から基礎演習(69年に人文演習に改称)が、69年からは経済学講読演習が導入され、演習を軸とした少人数教育が実施された。
また、経済学入門としての経済学甲・乙・丙による授業は、55年から教養科目として開講され、現在の専門科目としての経済と経済学の基礎A・Bへとその伝統は受け継がれている。
また、2年生から経済学専門科目を履修するいわゆる「くさび型」教育は大学紛争後の70年頃から早くも実施された。
なお、教員のグループ制は、学部人事委員会(2008年度)が設置されたことにより、担当科目の編成や負担調整を主たる目的とするものとなった。
〔研究〕1948年の新制学部発足と同時に創刊された『経済学論究』により研究は本格化し、また50年には旧制学位審査権を得た。
その第1号は池内信行で、旧制での経済学博士号取得者は合計16名となった。
さらにこの年に新制大学院経済学研究科修士課程が、54年には同博士課程が設置され、本格的な研究者の養成が始まった。
経済学部教員の研究成果は54年と58年に設置された経済学双書(6編)、翻訳双書(6編)で公表された。
〔学会活動〕これまで、経済学史学会(1951、57、2001)、日本経済学会(旧理論・計量経済学会)(1954、66、90、2010)、社会政策学会(1954、64、71)、日本統計学会(1955)、国際経済学会(1955、73)、日本経済政策学会(1961)、日本財政学会(1974、2001)、経営史学会(1974)などの全国大会の開催や55年のF.マハループを皮切りに、U.K.ヒックス、フリードマン、ハイエクなど外国の著名な経済学者の招聘など、日本の経済学研究の発展に大きく貢献した。
柚木学教授は『近世海運史の研究』(1979)で82年に、また竹本洋教授は『経済学体系の創成―ジェイムズ・ステュアートの経済学体系―』(1995)で99年にそれぞれ学士院賞を受賞した。
【現状】
〔学生〕入学定員680名の経済学部は、2014年度入学生656名、2年生678名、3年生731名、4年生810名の合計2,875名の学部学生と、経済学研究科博士課程前期課程13名(うちエコノミスト・コース生2名)、後期課程4名、研究員等8名の大学院生からなっている(2014年5月1日現在)。
これら学生は、一般入学試験、高等部推薦入学に加えて、指定校推薦入学(1989年度;2005年度に依頼校推薦入学から改名)、外国人留学生入学試験(1990年度)、帰国生徒入学試験(1990年度)、社会人入学試験(1991年度;2006年度よりAO入学試験に統合)、編入学試験(1997年度)、大学入試センター試験(1998年度)、協定校推薦入学(1999年度)、AO入学試験(2006年度)、提携校推薦入学(2007年度)、スポーツ能力に優れた者を対象とした入学試験(2007年度)、継続校推薦入学(2008年度)、千里国際高等部推薦入学(2011年度)、グローバル入学試験(2014年度)を行う一方、92年度から科目等履修生制度を利用したオープンカレッジ・ディプロマコースを設けてきた。
〔教職員〕経済学関連教員40名と、英語・ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語、日本語、宗教主事・宣教師に分けられた言語・外国文化関連教員13名の専任教員に加えて、専任職員7名、教務補佐3名、アルバイト職員4名、派遣職員1名で構成されている。
〔教育〕経済学部の伝統である小集団教育重視の立場から、1年生で基礎演習、2年生秋学期から研究演習入門、3、4年生で研究演習Ⅰ・Ⅱを置き、自主的な研究のために基礎から専門的な研究へと連続的に学習できるように制度的な保証をすると同時に、教員とのきめ細かなコミュニケーションを通じた相互の理解と人間的な交流を目指そうとしている。
さらに、大学設置基準の大綱化以後の改革を通じて、1994年からカリキュラムは総合教育科目と専門教育科目に分けられた。
総合教育科目は全学共通のシステムを踏襲しているものの、1999年からは選択必修としてのドイツ語、フランス語に中国語が加わった。
さらに、2003年には朝鮮語が、そして09年にはスペイン語が加わり、言語教育の多様化と充実化が進んだ。
また、12年よりいわゆる一般教養科目を廃止して、13年度から「学際トピックス」が設置され、落語や環境問題、そして異文化交流などの幅広い教養教育科目が開講されている。
また、大学における学びの動機付けを明確にし、自身のライフ・デザインを考えてもらうためにも、12年度より企業の実務家を講師に、「キャリアー・セミナー」(1年生対象)、そして「キャリアー・ワークショップ」(2年生対象)などの科目が設置された。
専門教育科目は基礎科目と専門科目からなり、セメスター制を実施し、教育効果を上げている。
1990年代半ばから始まったカリキュラム改革の過程で、初年次教育に関するカリキュラムの再編が検討され、何回かの改編を経て2012年度より基礎科目(必修)には「経済と経済学の基礎A・B」「経済の歴史と思想」、入門科目(選択必修)には「現代経済入門A・B」「言語と文化」「地域政策入門A・B」、そして分析ツール科目(選択必修)には「経済学のための数学入門A・B」「経済学のための統計学入門A・B」「経済情報処理入門Ⅰ・Ⅱ」が設置され、1年次の専門科目の充実を行うことで「くさび型」教育のさらなる徹底を図っている。
なお、11年度秋学期より「言語と文化」は言語・宗教担当教員が分担して講義を行っているだけでなく、12年度秋学期から「研究演習(2クラス)」も言語・宗教担当教員が受け持つことになり、経済学部教員全員による学部教育の一層の充実化が図られるようになった。
専門科目においては、専任教員に加えて、産業界を含む学外からの講師を招き、「市場経済と消費者」「ファイナンシャル・プランニングと生活設計」「パブリックビジネス概論」など「経済学トピックス」の一つとして現代社会でのホットなテーマを講義している。
加えて、2004年に設置されたコース制(当初7コース)は、幅広く経済学を学習させるため5コースとなり、その一つには経法連携の「地域政策コース」が設置されている。
さらに、学部・大学院のカリキュラム改革に伴い、科目コード番号化と大学院科目との合併により、レベル別(入門、標準、応用)の段階的な履修を可能とする体系となっている。
〔学生活動〕経済学部学生の活性化のために、1994年度からは学部主催のスポーツ大会を、95年度からはゼミ合同発表会(現、経済学部インゼミ大会)を実施する一方、学部情報誌『エコノフォーラム』(2013年度末現在まで第20号)を出版している。
さらに、学部創設75周年記念事業の一環として、2009年12月に「Econofesta」を開催し、シンポジウムやパネルディスカッション、そして他大学(慶応、上智)との交流を兼ねた研究発表会(「学生版経済学会」)を行った。
その時発表されたものをまとめ、『Econofesta 論文集』として発行した。
その後、11年度から『インゼミ大会論文集』として発行されている。
なお、13年度以降、『インゼミ大会論文集』や各研究演習における研究活動の成果物を電子ファイル化し、経済学部HPに掲載されるようになった。
また、1985年度からは経済学部懸賞論文賞および優秀卒業論文賞を、93年度からは基礎演習論文奨励賞を設け、学生の学習・研究意欲を鼓舞している。
〔研究活動〕経済学関連の紀要として『経済学論究』(第67巻)を、言語・外国文化関連の紀要として『エクス言語文化論集』(8号)を出版してきている。
また、1983年に創刊された不定期の英文のディスカッション・ペーパーは、電子化されるに伴って2010年4月にA4判からB5判へとコンパクトになり、すでに118号(14年4月現在)になっている。
さらに、60年に経済学部独自に経済学研究叢書制度を設け、これまでに32編(2013年11月現在)を出版してきた。
1995年から始まったフランスのリール第一大学との学術交流は、大学間交流へと拡大され、現在も交流が継続している。
〔研究科〕入学試験は9月と2月の2回(後期課程は2月のみ)実施される。
また、1996年度からは昼夜開講制のエコノミスト・コース入学試験が実施されている。
学生定員は前期課程30名、後期課程3名である。
学生数は、前期課程13名(内エコノミスト・コース生2名)、後期課程4名、研究員8名である(2014年5月1日現在)。
また、大学院教員は41名で、新制博士学位授与者101名(甲号55名、乙号46名)で、研究科修了者の全国の大学・研究所での活躍は目覚ましい(2014年5月1日現在)。
経済学研究科研究会(院生会)は夏期研究会を開催する一方、その報告をもとに研究紀要『関西学院経済学研究』(2013年現在第44号)を発行するだけでなく、院生は『経済学論究』および『産業研究所紀要』などへの投稿資格を有している。
【参照】Ⅰ 488-498,587-591;Ⅱ 101-165【文献】『関西学院大学経済学部五十年史』1984;『関西学院大学経済学部七十年史』2005
1932年に旧制関西学院大学は設置認可を受け、同年大学予科が設置され、2年後の学部創設時には3年制の商経学部が法文学部とともに設置された。
専門学校高等学部商科・高等商業学部の伝統を受け継いでの創設であった。
経済学科と商業学科の2学科制を採用し、経済学士と商学士の学位を授与した。
学生定員は120名、初年度の入学者は123名、第1回卒業生(37年3月)は、商学士83名、経済学士30名の合計113名であった。
この第1期生から、小寺武四郎経済学部教授、小島男佐夫商学部教授が出た。
開設時の専任教員はすべて高等商業学部からの移籍であった。
非常勤講師のうち、商学系が主に高等商業学部から招かれたのに対して、経済系は京都帝国大学や大阪商科大学から招かれたために、その影響は経済学部の学統に及んだ。
『商学論究』(1934-43)が新たに学部研究機関誌として高等商業学部と共同で刊行された。
その後48年3月『経済学論究』が後継誌として新たに刊行され、『商業経済時報』(1934-35)も発刊された。
このように研究を重視すると同時に、教育の充実のために1938年、研究演習制度を導入した。
40年になると学生定員は250名となった。
しかし、文科系の学生を3分の1に削減する国策に応じて、44年には商経学部学生の募集を停止し、在学生の教育を法文学部へ委嘱し、教員も国民生活科学研究所や専門学校政経科へと移籍した。
ここに商経学部は大学の一つの学部としてはいったん消えることになった。
戦後の1945年10月に大学が授業を再開するようになると、46年商経学部は経済学部へと名称変更をした。
新制大学制度が発足する1年前の48年に、関西学院大学は同志社大学、関西大学など12大学とともに新制へと移行し、経済学部も4年制の学部となった。
新制直後の49年の専任教員は、公選最初の学部長となった池内信行学部長以下21名で、その他9名の嘱託教員がいた。
当初、商経学部は旧制のもとで商学部と経済学部との分離を計画したが、その実現は51年であった。
〔教育〕学生定員は、1951年の200名、59年の400名、76年になると600名となり、大学の大衆化に対応したが、臨時定員増の関係で91年から2003年までは年度毎に定員に若干の増減があり、2004年には臨時定員増の恒常化により650名に、そして2008年には経法連携コースの新設により680名となって、現在に至っている。
教員についてみると、60年には10の教員グループ制がほぼ確立し、商業英語・商法の関連科目グループが81年になくなると、理論、経済史、経済学史、統計、財政、金融、経済政策、社会政策、国際経済から成る9グループ制が確立された。
それを基礎に立てられたカリキュラムには、以下の特徴が見られる。
すでに旧制から伝統となっていた演習制度は、51年から研究演習制度(Ⅰ・Ⅱ)が、63年から基礎演習(69年に人文演習に改称)が、69年からは経済学講読演習が導入され、演習を軸とした少人数教育が実施された。
また、経済学入門としての経済学甲・乙・丙による授業は、55年から教養科目として開講され、現在の専門科目としての経済と経済学の基礎A・Bへとその伝統は受け継がれている。
また、2年生から経済学専門科目を履修するいわゆる「くさび型」教育は大学紛争後の70年頃から早くも実施された。
なお、教員のグループ制は、学部人事委員会(2008年度)が設置されたことにより、担当科目の編成や負担調整を主たる目的とするものとなった。
〔研究〕1948年の新制学部発足と同時に創刊された『経済学論究』により研究は本格化し、また50年には旧制学位審査権を得た。
その第1号は池内信行で、旧制での経済学博士号取得者は合計16名となった。
さらにこの年に新制大学院経済学研究科修士課程が、54年には同博士課程が設置され、本格的な研究者の養成が始まった。
経済学部教員の研究成果は54年と58年に設置された経済学双書(6編)、翻訳双書(6編)で公表された。
〔学会活動〕これまで、経済学史学会(1951、57、2001)、日本経済学会(旧理論・計量経済学会)(1954、66、90、2010)、社会政策学会(1954、64、71)、日本統計学会(1955)、国際経済学会(1955、73)、日本経済政策学会(1961)、日本財政学会(1974、2001)、経営史学会(1974)などの全国大会の開催や55年のF.マハループを皮切りに、U.K.ヒックス、フリードマン、ハイエクなど外国の著名な経済学者の招聘など、日本の経済学研究の発展に大きく貢献した。
柚木学教授は『近世海運史の研究』(1979)で82年に、また竹本洋教授は『経済学体系の創成―ジェイムズ・ステュアートの経済学体系―』(1995)で99年にそれぞれ学士院賞を受賞した。
【現状】
〔学生〕入学定員680名の経済学部は、2014年度入学生656名、2年生678名、3年生731名、4年生810名の合計2,875名の学部学生と、経済学研究科博士課程前期課程13名(うちエコノミスト・コース生2名)、後期課程4名、研究員等8名の大学院生からなっている(2014年5月1日現在)。
これら学生は、一般入学試験、高等部推薦入学に加えて、指定校推薦入学(1989年度;2005年度に依頼校推薦入学から改名)、外国人留学生入学試験(1990年度)、帰国生徒入学試験(1990年度)、社会人入学試験(1991年度;2006年度よりAO入学試験に統合)、編入学試験(1997年度)、大学入試センター試験(1998年度)、協定校推薦入学(1999年度)、AO入学試験(2006年度)、提携校推薦入学(2007年度)、スポーツ能力に優れた者を対象とした入学試験(2007年度)、継続校推薦入学(2008年度)、千里国際高等部推薦入学(2011年度)、グローバル入学試験(2014年度)を行う一方、92年度から科目等履修生制度を利用したオープンカレッジ・ディプロマコースを設けてきた。
〔教職員〕経済学関連教員40名と、英語・ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語、日本語、宗教主事・宣教師に分けられた言語・外国文化関連教員13名の専任教員に加えて、専任職員7名、教務補佐3名、アルバイト職員4名、派遣職員1名で構成されている。
〔教育〕経済学部の伝統である小集団教育重視の立場から、1年生で基礎演習、2年生秋学期から研究演習入門、3、4年生で研究演習Ⅰ・Ⅱを置き、自主的な研究のために基礎から専門的な研究へと連続的に学習できるように制度的な保証をすると同時に、教員とのきめ細かなコミュニケーションを通じた相互の理解と人間的な交流を目指そうとしている。
さらに、大学設置基準の大綱化以後の改革を通じて、1994年からカリキュラムは総合教育科目と専門教育科目に分けられた。
総合教育科目は全学共通のシステムを踏襲しているものの、1999年からは選択必修としてのドイツ語、フランス語に中国語が加わった。
さらに、2003年には朝鮮語が、そして09年にはスペイン語が加わり、言語教育の多様化と充実化が進んだ。
また、12年よりいわゆる一般教養科目を廃止して、13年度から「学際トピックス」が設置され、落語や環境問題、そして異文化交流などの幅広い教養教育科目が開講されている。
また、大学における学びの動機付けを明確にし、自身のライフ・デザインを考えてもらうためにも、12年度より企業の実務家を講師に、「キャリアー・セミナー」(1年生対象)、そして「キャリアー・ワークショップ」(2年生対象)などの科目が設置された。
専門教育科目は基礎科目と専門科目からなり、セメスター制を実施し、教育効果を上げている。
1990年代半ばから始まったカリキュラム改革の過程で、初年次教育に関するカリキュラムの再編が検討され、何回かの改編を経て2012年度より基礎科目(必修)には「経済と経済学の基礎A・B」「経済の歴史と思想」、入門科目(選択必修)には「現代経済入門A・B」「言語と文化」「地域政策入門A・B」、そして分析ツール科目(選択必修)には「経済学のための数学入門A・B」「経済学のための統計学入門A・B」「経済情報処理入門Ⅰ・Ⅱ」が設置され、1年次の専門科目の充実を行うことで「くさび型」教育のさらなる徹底を図っている。
なお、11年度秋学期より「言語と文化」は言語・宗教担当教員が分担して講義を行っているだけでなく、12年度秋学期から「研究演習(2クラス)」も言語・宗教担当教員が受け持つことになり、経済学部教員全員による学部教育の一層の充実化が図られるようになった。
専門科目においては、専任教員に加えて、産業界を含む学外からの講師を招き、「市場経済と消費者」「ファイナンシャル・プランニングと生活設計」「パブリックビジネス概論」など「経済学トピックス」の一つとして現代社会でのホットなテーマを講義している。
加えて、2004年に設置されたコース制(当初7コース)は、幅広く経済学を学習させるため5コースとなり、その一つには経法連携の「地域政策コース」が設置されている。
さらに、学部・大学院のカリキュラム改革に伴い、科目コード番号化と大学院科目との合併により、レベル別(入門、標準、応用)の段階的な履修を可能とする体系となっている。
〔学生活動〕経済学部学生の活性化のために、1994年度からは学部主催のスポーツ大会を、95年度からはゼミ合同発表会(現、経済学部インゼミ大会)を実施する一方、学部情報誌『エコノフォーラム』(2013年度末現在まで第20号)を出版している。
さらに、学部創設75周年記念事業の一環として、2009年12月に「Econofesta」を開催し、シンポジウムやパネルディスカッション、そして他大学(慶応、上智)との交流を兼ねた研究発表会(「学生版経済学会」)を行った。
その時発表されたものをまとめ、『Econofesta 論文集』として発行した。
その後、11年度から『インゼミ大会論文集』として発行されている。
なお、13年度以降、『インゼミ大会論文集』や各研究演習における研究活動の成果物を電子ファイル化し、経済学部HPに掲載されるようになった。
また、1985年度からは経済学部懸賞論文賞および優秀卒業論文賞を、93年度からは基礎演習論文奨励賞を設け、学生の学習・研究意欲を鼓舞している。
〔研究活動〕経済学関連の紀要として『経済学論究』(第67巻)を、言語・外国文化関連の紀要として『エクス言語文化論集』(8号)を出版してきている。
また、1983年に創刊された不定期の英文のディスカッション・ペーパーは、電子化されるに伴って2010年4月にA4判からB5判へとコンパクトになり、すでに118号(14年4月現在)になっている。
さらに、60年に経済学部独自に経済学研究叢書制度を設け、これまでに32編(2013年11月現在)を出版してきた。
1995年から始まったフランスのリール第一大学との学術交流は、大学間交流へと拡大され、現在も交流が継続している。
〔研究科〕入学試験は9月と2月の2回(後期課程は2月のみ)実施される。
また、1996年度からは昼夜開講制のエコノミスト・コース入学試験が実施されている。
学生定員は前期課程30名、後期課程3名である。
学生数は、前期課程13名(内エコノミスト・コース生2名)、後期課程4名、研究員8名である(2014年5月1日現在)。
また、大学院教員は41名で、新制博士学位授与者101名(甲号55名、乙号46名)で、研究科修了者の全国の大学・研究所での活躍は目覚ましい(2014年5月1日現在)。
経済学研究科研究会(院生会)は夏期研究会を開催する一方、その報告をもとに研究紀要『関西学院経済学研究』(2013年現在第44号)を発行するだけでなく、院生は『経済学論究』および『産業研究所紀要』などへの投稿資格を有している。
【参照】Ⅰ 488-498,587-591;Ⅱ 101-165【文献】『関西学院大学経済学部五十年史』1984;『関西学院大学経済学部七十年史』2005