[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
軽音楽部
軽音楽部の歴史は、1946年に音楽を愛好する数名の学生が集まってハワイアン・バンドを結成したことに始まる。
創部間もないころはジャズの演奏活動が中心であったが、当時は学生ジャズに対して無理解な批判も多かった。
しかし、関西の学生ディキシー・ジャズ・バンドのパイオニアとしての存在、またハワイアン演奏の名手たちの輩出が「関学軽音」の名を広く知らしめた。
その後、ジャズブームの停滞が招く部員不足の時代を経ながら、昭和30年代から40年代にかけて演奏会の定期化、部室の建設などを行い、現在の基礎を築いた。
やがて夏季休暇を利用した演奏旅行、他大学との競演、ジャズ合戦やコンテストへの参加、ラジオ・テレビ出演、そのほか多くのコンサート活動により、全国レベルでのリーダー的存在の一つとなった。
時代の流れとともに音楽は移り変わり、それに合わせてさまざまな音楽性をもったバンドが新しく生まれては消える。
ジャズ、ハワイアン、ウエスタン、タンゴ、ラテン、ロック、ポップス、ファンク、フュージョン、ボサノバなどあらゆる音楽への取り組みの歴史が軽音楽部の伝統をつくりあげてきたといえる。
その中でも創始のころより綿々と活動が受け継がれているのがビッグ・バンド「KGスイングチャリオティアーズ」である。
時には世に名を馳せた名門バンドで、そのステータスは今もゆるぎない。
これまでの約70年間に約1,200名が軽音楽部を“卒業”しているが、タイガー大越(大越徹)、羽毛田丈史、大江千里、橘いずみなど音楽の道に進んだ者も少なくない。
また、多くの卒業生が卒業後もアマチュアとして演奏活動を続けている。
春秋2回の定期演奏会をはじめ、学内外で数多く演奏する機会に恵まれており、それら音楽演奏を基本にしながらも、企画、舞台設営、音響操作(PA)、PR活動などにも取り組み、「一つのものを自分たちの力で創り上げる」というポリシーも代々伝えられている。
【文献】『関学軽音60年栄光の軌跡』2006