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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

人権教育

 大学紛争が収まり、大学改革への取り組みが始まった1971年11月に商学部で起きた教員による差別発言事件は関西学院の同和教育、人権教育促進の契機となった。
これまではその建学の精神であるキリスト教主義精神が唱える「人間の平等」「人格の尊厳」「隣人愛」を尊重してきたものの、その社会的意味を厳しく再吟味し、その実現に意識的に取り組む姿勢を学院全体としてとってきたとはいえない状況であった。
以後の同和教育は、この問いかけにいかに応え、その社会的・教育的責任をいかに果たすかという視点から取り組まれていった。
その具体的取り組みは3期に分けられる。

 第1期には、同和問題を全学的な問題として大学評議会の取り組むべき課題とし、1973年度から同和問題を「総合コース」として開講することを決定し、学長の諮問機関として同和問題委員会が設置された。
その75年の答申で、「同和教育は本学に課せられた真に共同の課題」であり、同和問題委員会を大学評議会に設置するべきだと提言された。

 第2期には、その提言に従って同和教育委員会が大学評議会に設置され、同和教育体制における大学評議会、学長、同和委員会、学部の責任が明確化された。
1975年9月には「同和教育の基本方針」が決定され、その中で同和問題と建学の精神とのかかわりを重視し、同和問題の研究の促進、在日朝鮮人問題、身体障がい者問題などへの取り組みが要請され、10月には同和教育研究プロジェクト・チームが設置されることとなった。
差別事件が続くなか、84年2月には答申「本学における同和教育の総括と今後取り組むべき課題」が出され、同和教育における知識偏重の克服、エゴイズムの克服と自らを愛の主体へと変革する人間形成の重視、部落差別、民族差別、身体障がい者差別、女性差別など克服すべき差別に対する視野の拡大と人権教育への総合的視点が強調された。
この観点から、85年4月になって、人権教育の全体像を総合的視野から検討する人権教育検討委員会が大学執行部、同和教育委員会、同和教育研究プロジェクト・チームなどの代表者を集めて設置され、同時に資料室が設けられた。

 第3期は、このような同和教育から人権教育への発展的転換を実現するために、1992年4月には人権教育委員会が発足し、さらに95年4月から人権教育研究室が設置された時期である。
97年度からは人権教育研究室の研究機能を強化・充実することとなり、同和教育研究プロジェクト・チームは発展的に解散され、同時に人権教育委員会も廃止された。

 人権教育科目としては、1973年度から「日本社会と部落問題」が全学開講の総合コース科目となって開講、以降、77年度からは「在日朝鮮人問題」が、86年度からは「男性社会と女性」が、88年度からは「身体障害者問題」(89年度より「障害者問題」)が、神戸三田キャンパスでは、95年度から「差別と人権」が、2002年度からは「人権と共生」が開講され、さらに04年度からは「人権問題入門」が、05年度からは「滞在外国人が抱える問題と人権」が、09年度からは「ヒューマン・セクシュアリティ」が開講された。
また、関連科目として1995年度からは「平和学入門」が開講されたが、2003年の広島折り鶴放火事件の後、04年度から「平和学『広島・長崎講座』」と「平和学特別演習」が開講された。
また、14年度から新しい「関西学院大学人権教育の基本方針」が定められ、『人権問題資料集』がホームページにも掲載されている。

 同和教育研究プロジェクト・チームによる研究成果は『日本近代化と部落問題』(領家穣編、明石書店、1996)として出版され、高い評価を得た。

【参照】Ⅱ 423-431【文献】『人権問題資料集』1988-;『関西学院大学白書』(1994年版・1997年版・2000年版・2003年版);『人権研究』(創刊号)1998-;『本学における同和教育の総括と今後取り組むべき課題』1998
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