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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

宗教主事

 宗教主事の職制の始まりは関西学院創立直後に、学院のキリスト教主義教育の中核を担うべく設けられた礼拝主事にさかのぼる。
学院の拡充に伴い、1912年、初めての専従礼拝主事として日本メソヂスト教会日下部教会牧師の小野善太郎が就任した。
同年の関西学院理事会細則によると、礼拝主事の責務は「スクール・カウンシルと協議の上、学科課程以外の学院における宗教活動の責任を負う」とされる。
その後、15年の関西学院教会創立と同時に礼拝主事は関西学院教会の牧師を兼務することとなり、その体制は日本メソヂスト教会が日本基督教団に合同される41年まで続いた。
第2次世界大戦中の43年4月に礼拝主事は宗教主事という名称に変更され、当時の鮫島盛隆礼拝主事がそのまま宗教主事の職務を担うこととなった。
当時の宗教主事(礼拝主事)は、礼拝を中心とした宗教活動の拠点であった宗教館(現、吉岡記念館にある宗教センター)の責任者でもあった。

 1947年より、宗教主事は大学各学部に嘱託として配置される嘱託宗教主事制が敷かれ、新制中学部、高等部、短期大学には、設立当初より専任の宗教主事が1名ずつ置かれた。
その後、学院組織改編の中で、52年には宗教センター開設に伴いセンター主事が置かれ、翌53年、宗教総主事と大学宗教主事制(学長直属)が導入され、57年には学部の専任宗教主事制が誕生することとなる。
当時の宗教主事の職務は、各学部におけるチャペルの運営、学生の個人指導やグループ指導、授業でのキリスト教科目の担当であった。

 1960年代前半に始まった大学紛争は67年、関西学院においても激化し、紛争後の教育改革の中で従来の宗教主事制についても問われ、75年3月に「宗教主事職制検討委員会答申」が提出された。
答申において明確化されたことは、①職務は大学の宗教教育にたずさわること、②宗教教育の内容はキリスト教学の講義・チャペルその他の宗教的教育行事の執行および学生の精神的指導を指す、③身分は教授・助教授・専任講師・助手であり、便宜上宗教主事の呼称を保持することができる、の3点であった。
また、これとともに今後の検討課題として①所属の問題、②資格審査の問題、③機構の問題、④法規の問題があげられた。
この答申に従い、76年度より学部宗教主事の「待遇」教員制は廃止され、各学部の正式な教授会メンバーとなった。
現在、神学部を除く大学各学部、高等部、中学部、初等部、聖和短期大学に各1名が専任教員として採用されその職務に当たっている。
また、2014年度よりこれまでキリスト教と文化研究センターに専任教員(学長直属)として所属していた宗教センター宗教主事は神学部に所属することとなった。
また規定上、関西学院会館宗教主事、神戸三田キャンパスランバス記念礼拝堂宗教主事が置かれているが、現在は他の宗教主事から選ばれ兼務となっている。
なお、千里国際キャンパス宗教主事も規定上置かれているが、選任されていない。

【参照】Ⅰ 281,611;Ⅱ 518
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