[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
宗教運動
関西学院において「宗教運動」と解される特別集会は、第2次世界大戦以前に、礼拝主事、基督教青年会などが中心となり、主として関西学院内におけるキリスト教伝道の一環として行われていた。
戦後再開され現在に至る宗教運動は、1950年6月に発足した宗教活動委員会が中心となって同年秋より始められた。
翌年からは、春秋2回の宗教運動週間が設けられ、外来講師等の応援のもと全学を挙げての運動となった。
当初、宗教運動週間中では、大学、短期大学では1回を合同礼拝とし、2回を各学部ごとに開催した。
さらに講師を囲むプログラムをはじめ、開催時期にあわせて教職員修養会、学生懇談会等の集会も催された。
また、中学部・高等部では宗教運動週間中にPTAの集会が開催され、保護者に向けたキリスト教の講話がなされた。
さらに、60年からは学生の一泊懇談会が計画され、教職員と学生がこの特別な時をともに過ごすこととなった。
こうした開催方式は大学紛争が激しさを増す68年まで続いた。
1969年になると、中学部・高等部では宗教運動が開催されたが、大学紛争の激化に伴い大学ではロングチャペルを各学部で行うに止まり、その枠内で特別企画が催された。
翌70年に入っても、大学においては宗教運動の再開は困難な状況が続き、また、中央講堂が荒廃したため、しばらくの間、合同礼拝は第5別館大教室で開催することを余儀なくされた。
大学紛争が沈静化し始めた1970年春より、大学においても宗教運動が再開され、週間中合同礼拝が3回、各学部での礼拝が2回実施されるようになった。
翌71年より合同礼拝(現在は合同チャペルと称している)が1回、各学部の礼拝(現在はチャペルと称している)が2回、72年より合同・各学部ともに1回の開催となる。
77年より、大学では春秋それぞれ週2回の合同ロングチャペルという形式がとられ、当日の朝、上ケ原キャンパスのランバス記念礼拝堂において早天祈祷会が守られている。
それとともに、春秋それぞれ宗教運動期間の夕刻より、「教職員のつどい」が開催され、礼拝ならびに新任教職員の紹介を中心としたプログラムが実施されている。
現在大学ならびに聖和短期大学では、春秋のロングチャペル開催週を「大学キリスト教週間」として、春は建学の精神を主題に主として院長・学長をはじめとした学内講師がロングチャペルの講話を担当し、秋は年度ごとに異なる主題を決定した上で学外講師が担当することを原則にしてプログラムの運営がなされている。
【参照】Ⅱ 315
戦後再開され現在に至る宗教運動は、1950年6月に発足した宗教活動委員会が中心となって同年秋より始められた。
翌年からは、春秋2回の宗教運動週間が設けられ、外来講師等の応援のもと全学を挙げての運動となった。
当初、宗教運動週間中では、大学、短期大学では1回を合同礼拝とし、2回を各学部ごとに開催した。
さらに講師を囲むプログラムをはじめ、開催時期にあわせて教職員修養会、学生懇談会等の集会も催された。
また、中学部・高等部では宗教運動週間中にPTAの集会が開催され、保護者に向けたキリスト教の講話がなされた。
さらに、60年からは学生の一泊懇談会が計画され、教職員と学生がこの特別な時をともに過ごすこととなった。
こうした開催方式は大学紛争が激しさを増す68年まで続いた。
1969年になると、中学部・高等部では宗教運動が開催されたが、大学紛争の激化に伴い大学ではロングチャペルを各学部で行うに止まり、その枠内で特別企画が催された。
翌70年に入っても、大学においては宗教運動の再開は困難な状況が続き、また、中央講堂が荒廃したため、しばらくの間、合同礼拝は第5別館大教室で開催することを余儀なくされた。
大学紛争が沈静化し始めた1970年春より、大学においても宗教運動が再開され、週間中合同礼拝が3回、各学部での礼拝が2回実施されるようになった。
翌71年より合同礼拝(現在は合同チャペルと称している)が1回、各学部の礼拝(現在はチャペルと称している)が2回、72年より合同・各学部ともに1回の開催となる。
77年より、大学では春秋それぞれ週2回の合同ロングチャペルという形式がとられ、当日の朝、上ケ原キャンパスのランバス記念礼拝堂において早天祈祷会が守られている。
それとともに、春秋それぞれ宗教運動期間の夕刻より、「教職員のつどい」が開催され、礼拝ならびに新任教職員の紹介を中心としたプログラムが実施されている。
現在大学ならびに聖和短期大学では、春秋のロングチャペル開催週を「大学キリスト教週間」として、春は建学の精神を主題に主として院長・学長をはじめとした学内講師がロングチャペルの講話を担当し、秋は年度ごとに異なる主題を決定した上で学外講師が担当することを原則にしてプログラムの運営がなされている。
【参照】Ⅱ 315