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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

財務部財務課

 1889年9月の創立当初、関西学院は法人格を持たず、吉岡美国ら3名の日本人教会員の個人名義人から成る財産管理会を設け、財産管理を担った。
1904年1月、在日本南メソヂスト教会宣教師社団が設立され、この社団に財産は移管された。
その後10年11月、カナダ・メソヂスト教会の経営参加を機に、関西学院社団が設置され、大学(旧制)設立を前に31年9月には財団法人関西学院となり、戦後の51年2月に学校法人関西学院となって財産は承継されてきた。

 当初より財務委員会と建設委員会があり、会計課長および監査委員会が置かれていた。
その枠組みはほとんど変わることなく今日まで引き継がれてきた。
土地と建物の新規取得は建設委員会が司り、経常会計は財務委員会が司る。
この制度に基づいて経常収支と建設収支の二つに区分され経理されてきた。
統括貸借対照表は財務委員会が作成した。

 学院の財政は、当初ミッションに依存するところが大きかったが、第2次世界大戦による戦争の激化で宣教師が引き上げたため、1941年から未曾有の財政危機が訪れた。
それを切り抜けると間もなく終戦となり、荒廃した学舎の復興に多大の財政的努力を要した。
全国的な大学紛争後の72年より国から経常費補助金が助成されるにいたって、学校法人会計制度が制定され、財務諸表はそれに従うことになった。

 職制については、1944年に財務部長が置かれた。
戦後、財務関係には会計課のほかに営繕課、用度課が置かれた。
59年、この2課は施設課となった。
大学紛争を経て、69年、財務部長のほかに副部長、次長が置かれ、財務部の強化が図られた。
翌70年、管財課が置かれ3課制になった。
75年、給与計算業務は会計課から総務部へ移管され、翌76年、施設課が部として独立したため2課となった。
88年から90年の間、100周年記念事業に関して募金課が設置されたが、その業務は翌年校友課が新設され移管された。
97年、合理化のため管財課を会計課管財担当として吸収し、1部1課制となった。
2004年、財務機能を強化し、財務政策の策定・調整およびそれに必要とされる調査・分析、企画・立案に関する事務を行うため、会計課を財務課に名称変更した。

 2013年度末現在の財政状況は、帰属収入390億7,800万円、帰属収支差額45億6,500万円、帰属収支差額比率11.7%、当年度消費収入超過額5億6,300万円、翌年度繰越消費支出超過額63億1,100万円、資産合計1,702億2,800万円である。

【文献】『私学財政と学院の歩み』1975
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