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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

旌忠碑

せいちゅうひ

 中央講堂東側の広場に建つ記念碑で、1939年10月の創立50周年記念式典の一環として定礎式が行われ、翌年2月に完成している。

 日中戦争の本格化とともに学生・教職員の応召が相次ぎ、犠牲者は学院関係者にも及んだことから、関西学院は1937年に同窓戦死者7名のために初めての慰霊祭を実施した。
翌38年の戦死者は10名に達し、第2回の慰霊祭を催した。
学院、学生会、同窓会は合同して慰霊碑の建立を計画し、教職員と在校生が3分の1、同窓会が3分の2の募金を行った。
石碑には碑文と日清戦争以降の学院関係戦死者168名の氏名が刻まれている。

 「旌忠」とは国家に対する忠義を顕彰することを意味し、碑の前面には神武東征を象徴する八咫烏の図像が配置され、碑の背面にある碑文には自己を絶対的正義の立場に置いて他者を討つ意味を持つ中国古典の語句、また神武天皇の故事を述べる『日本書紀』の一節が利用されるなど、当時の時代風潮を色濃く反映したものである。
そのため、戦後の状況にふさわしい碑のあり方が何度か検討された。
2001年に、この碑に関する資料集『旌忠碑』を編み、同時に、この石碑の歴史的位置付けと平和への祈りとそのための働きを示したプレートが据え付けられ、最後に「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ福音書:5:9)の聖句が刻まれた。

【参照】Ⅰ 548【文献】『旌忠碑』(関西学院史紀要資料集Ⅰ)2004

旌忠碑

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