[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
小宮孝
こみやたかし
1902.11.15~1975.11.16
第9代院長、高等商業学部・経済学部教授。
横浜市に生まれる。
1929年、東京商科大学卒業後ただちに関西学院高等商業学部経済学担当教授に就任。
41年、商経学部助教授、46年、同教授に昇任。
理論経済学を担当。
戦後の学院民主化とキリスト教活動の旗頭として活躍。
1946年に結成された教職員組合の初代組合長に就任。
続いて再建中の高等商業学部長に推されたが、学部事情によって就任しなかったものの、50年から4年間経済学部長に就き、商学部の分離独立を手がけた。
学部長に就任すると同時に、宗教活動委員会の初代委員長にも就き、戦後の学院キリスト教活動活性化の中核として働く。
1958年院長に選出され、関西学院財務部長に小寺武四郎、同総務部長に古武弥正教授(ともに大学卒業1期生)を当てて清新の気風をもたらした。
70周年記念事業としてランバス記念礼拝堂、体育館、学生会館などの建設、続いて社会学部、理学部の創設と、関西学院の充実、拡充に努めた。
しかし、学費値上げに対する学生の反対運動を契機とした大学紛争中の69年、古武弥正学長入院に伴い学長代理を兼任、学生の「大衆団交」を一昼夜受けて立った後、院長、学長代理を辞任した。
1年後の70年、経済学部教授も退職。
その後、名古屋学院大学教授を経て神戸女学院院長を務めた。
74年には吉岡美国、C.J.L.ベーツに続いて名誉院長の称号を受けた。
著書に『新経済学入門』(1947)がある。
【参照】Ⅱ 66,55【文献】『経済学論究』24(4)1971;『Auf!―小宮孝先生の世界』(私家版)1976
横浜市に生まれる。
1929年、東京商科大学卒業後ただちに関西学院高等商業学部経済学担当教授に就任。
41年、商経学部助教授、46年、同教授に昇任。
理論経済学を担当。
戦後の学院民主化とキリスト教活動の旗頭として活躍。
1946年に結成された教職員組合の初代組合長に就任。
続いて再建中の高等商業学部長に推されたが、学部事情によって就任しなかったものの、50年から4年間経済学部長に就き、商学部の分離独立を手がけた。
学部長に就任すると同時に、宗教活動委員会の初代委員長にも就き、戦後の学院キリスト教活動活性化の中核として働く。
1958年院長に選出され、関西学院財務部長に小寺武四郎、同総務部長に古武弥正教授(ともに大学卒業1期生)を当てて清新の気風をもたらした。
70周年記念事業としてランバス記念礼拝堂、体育館、学生会館などの建設、続いて社会学部、理学部の創設と、関西学院の充実、拡充に努めた。
しかし、学費値上げに対する学生の反対運動を契機とした大学紛争中の69年、古武弥正学長入院に伴い学長代理を兼任、学生の「大衆団交」を一昼夜受けて立った後、院長、学長代理を辞任した。
1年後の70年、経済学部教授も退職。
その後、名古屋学院大学教授を経て神戸女学院院長を務めた。
74年には吉岡美国、C.J.L.ベーツに続いて名誉院長の称号を受けた。
著書に『新経済学入門』(1947)がある。
【参照】Ⅱ 66,55【文献】『経済学論究』24(4)1971;『Auf!―小宮孝先生の世界』(私家版)1976