[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
国際研究部
国際研究部は、1924年に前身の国際連盟協会関西学院学生支部が発足したところから始まる。
27年に後の『恒平』となる部報第1号が発行された。
32年には国際連盟支那調査団のV.A.G.R.リットン委員長に面会した。
41年の学生会解散に伴い、関西学院報国団文科部研究科国際問題研究班の名称で存続し、45年に関西学院大学国際問題研究会として再開した。
以後76年まで部報『恒平』の発行、関学・神大・立教の3大学合同研究会を中心に活動したが、その年の学園祭での研究発表後、全員が引退した。
しかし翌77年に再建され、84年に恒平クラブ60周年記念総会が開かれた。
その後、部員の減少により休部寸前の状態になっていたが、97年に再結成され、新しく活動を始めた。
現在では本校への世界各国からの留学生を対象として日本文化に肌で触れ、体験する場を提供することを目的としたフィールドワークを企画、運営する活動を行っている。
【文献】『国際問題研究部三十年史』(上巻)1954
27年に後の『恒平』となる部報第1号が発行された。
32年には国際連盟支那調査団のV.A.G.R.リットン委員長に面会した。
41年の学生会解散に伴い、関西学院報国団文科部研究科国際問題研究班の名称で存続し、45年に関西学院大学国際問題研究会として再開した。
以後76年まで部報『恒平』の発行、関学・神大・立教の3大学合同研究会を中心に活動したが、その年の学園祭での研究発表後、全員が引退した。
しかし翌77年に再建され、84年に恒平クラブ60周年記念総会が開かれた。
その後、部員の減少により休部寸前の状態になっていたが、97年に再結成され、新しく活動を始めた。
現在では本校への世界各国からの留学生を対象として日本文化に肌で触れ、体験する場を提供することを目的としたフィールドワークを企画、運営する活動を行っている。
【文献】『国際問題研究部三十年史』(上巻)1954