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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

高等部

【沿革】 
 戦後、6・3・3制度への移行に伴って、1948年4月旧制中学部が新制高等部へ昇格する形で学校教育法第4章に該当する高等学校として発足、関西学院高等部は、河辺満甕初代部長を中心とした34名の教師陣、3年生340名(7クラス)、2年生275名(6クラス)、1年生293名(6クラス)の編成で旧制中学部校舎(現、中学部グラウンド)を使用して開校した。
現在の校舎は学院創立100周年記念事業として89年に移転新築されたものである。

 河辺部長はイギリスのパブリックスクールの精神を高等部の教育指針とし、58年に就任した加藤秀次郎第2代部長はアメリカ・デモクラシーの考えに基づき、「自覚に俟つ」教育を、62年就任の石田己代治第3代部長は生活の中心に聖書と教会を置き、信仰に基づく後期中等教育を進めた。

 1967年高中一貫教育を促進するために高中部一人部長制に移行、小林宏(高等部長としては第4代)、90年に中島貞夫(同じく第5代)がそれぞれ高中部長としてその任についた。
76年には高中一貫教育の理念として「キリスト教主義教育」「英語教育」「体育教育」「読書教育」を4本柱に据え、高中一貫教育のさらなる充実を目指すこととなった。

 1992年、高等部教育目標「イエス・キリストを通して、人と世界に仕える使命感と実力を養い、豊かな心と真摯な態度を備えた人格を養う」が定められ、現高等部棟玄関に「凡ての人の僕たれ」(マタイ伝20章27節・野中浩俊揮毫)の書が掲げられた。
95年から再び高等部、中学部それぞれに部長を置くこととなり、小村俊之が第6代高等部長に、尾崎八郎が中学部長の任についた。
その後2004年に澄田新が第7代、11年からは石森圭一が第8代の高等部長の任につき現在に至っている。

【現状】 
 生徒急増期(1963-67)に1学年350名となった以外は定員300名(中学部より180名が推薦入学)で、1981年より海外帰国生入学試験を実施し、毎年数名が入学している。
また、2015年からは中学部の男女共学化の後を受けて、高等部も男女共学化、定員増(1学年350名、男女比5:3、ただし現在認可申請中)を予定している。
卒業生の約9割が関西学院大学へ推薦入学し、毎年十数名が外部大学へ進学している。

 生徒の自主性を尊重した自由で伸びやかな教育を目指して、「基礎学力の充実と多彩な選択授業による創造性の開発」をテーマにカリキュラムを編成しており、創部当時より実施している選択授業は大きな特色といえる。
また、部活動、生徒会活動も活発で、特に7割程度の者が運動部に所属し、多くの部が毎年県上位の戦績をおさめている。

【参照】Ⅱ 93【文献】『関西学院高中部百年史』1989

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