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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

合同条項

Articles of Union

天皇を中心とする国家の形成が本格化していた明治中期には、キリスト教界への締め付けが強化され、関西学院に対するアメリカ・南メソヂスト監督教会の財政支援にも限界があったことなどから、学院は地方の一私塾の地位に甘んじざるをえなかった。
この地位を大きく変えたのが、カナダ・メソヂスト教会との合同経営であった。
その際、両教会で結ばれたのが合同条項(Articles of Union)で、学院創立後20年を経過した1910年5月のことであった。

 合同条項の全体は16条からなり、まず既存の教育機関を充実させるため高等教育に進出することが明記されている。
実際、2年後に高等学部が開設された。
また、財政上の問題に関して、すでに南メソヂスト監督教会が負担した土地建物等の資産についてはカナダ・メソヂスト教会がその取得額の半分を負担し、それぞれの教会から派遣された宣教師教員の費用はそれぞれのミッションが負担することとした。
以降、日本人教職員の人件費を含むあらゆる費用について、両教会が折半することを定めている。
財産の所有と管理は、神学部を専門学校の神学校にする際に同年11月に両教会の宣教師各6名の社員によって設立された関西学院社団が行うこととし、学院の経営は法人とは別途にこの合同条項によって設けられた理事会が行った。

 理事会の構成は、両ミッションから宣教師を含む各4名と、日本のメソヂスト教会から選ばれた監督を含む4名の合計12名からなっており、第1回理事会は翌1911年3月に開催された。
学院に関する重要事項の決定はこの理事会の権限に委ねられたが、最終的にはそれぞれ本国の両教会によって設けられた合同教育全権委員会の承認を必要とした。
なお、この合同条項は同委員会によって結ばれたものである。

 そのほか合同条項は学院の組織と役員を規定しており、学院全体を総監する院長のもとに、各学部長と会計課長をおき、別に学院全体のチャプレン(礼拝主事)を配した。
各学部長は神学部長、普通学部長のほかにすでに開設を予定していた高等学部長の3名で、院長にこの学部長3名を加えた4名によってスクール・カウンシル(全学協議会)を構成し、学部にまたがる問題を協議することになっていた。
そのほか、各役職の任務が具体的に示されている。

 この合同条項は、その後実状に応じて改正され、1931年に関西学院社団が解散し財団法人関西学院が設立された際に、財団法人関西学院寄附行為による理事会に一本化され、その歴史的使命を終えることになった。

【参照】Ⅰ 241

合同条項

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