[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
ダッドレーメモリアルチャペル
「ゲーンズハウス」とともに西宮聖和キャンパス最古の建物。
W.M.ヴォーリズ設計、竹中工務店施工。
神戸女子神学校の校舎として建てられた。
1932年6月3日定礎式。
同年10月使用を開始。
翌33年3月28日献堂式。
延べ面積180坪2合(約596㎡)。
神戸女子神学校は、1932年10月、神戸の中山手通6丁目通称59番より現キャンパス地である西宮の岡田山に移転し、従来の神学科に社会事業科を加え、再出発を図った。
移転の際、本校舎、寄宿舎、宣教師館(現、ゲーンズハウス)、日本人教師住宅が建てられた。
本校舎で日曜学校を始めたところ、近隣の子どもたちが約150人来た。
また、日曜日に夕礼拝が行われた。
その静かな雰囲気を慕って、神戸女子神学校の学生に、関西学院の学生や神戸女学院の学生、職員が加わり、50~60人が集まった。
1941年4月、ランバス女学院と合併して聖和女子学院が成立、本校舎はその第一校舎となった。
52年、聖和女子短期大学の本館(旧1号館)落成後は、第二校舎と称せられた。
55年から61年までは、聖和第二幼稚園の園舎として使用された。
また、ここで行われていた日曜学校が、56年度から関西学院教会の日曜学校の聖和分校となった。
後に、日曜学校は教会学校と称せられるようになったが、聖和分校は81年度まで続いた。
69年、聖和女子大学の3号館の竣工に伴って、本校舎は4号館と称せられるようになった。
聖和幼稚園の日曜日礼拝にも使用された。
92年、西宮市都市景観形成建築物に指定された。
95年、阪神・淡路大震災によって損傷を受けたが、修復された。
2009年、本校舎は、神戸女子神学校の創立者の一人、J.E.ダッドレーを記念して、「ダッドレーメモリアルチャペル」と命名された。
現在、チャペル入口上に掲げられている木製のプレートは、神戸女子神学校の神戸校地のチャペル(1908年落成、現存せず)にあったもので、“Julia E. Dudley Memorial Chapel"と記されている。
【文献】『聖和保育史』1985;山形政昭『ヴォーリズの建築:ミッション・ユートピアと都市の華』1989;竹中正夫『ゆくてはるかに:神戸女子神学校物語』2000
W.M.ヴォーリズ設計、竹中工務店施工。
神戸女子神学校の校舎として建てられた。
1932年6月3日定礎式。
同年10月使用を開始。
翌33年3月28日献堂式。
延べ面積180坪2合(約596㎡)。
神戸女子神学校は、1932年10月、神戸の中山手通6丁目通称59番より現キャンパス地である西宮の岡田山に移転し、従来の神学科に社会事業科を加え、再出発を図った。
移転の際、本校舎、寄宿舎、宣教師館(現、ゲーンズハウス)、日本人教師住宅が建てられた。
本校舎で日曜学校を始めたところ、近隣の子どもたちが約150人来た。
また、日曜日に夕礼拝が行われた。
その静かな雰囲気を慕って、神戸女子神学校の学生に、関西学院の学生や神戸女学院の学生、職員が加わり、50~60人が集まった。
1941年4月、ランバス女学院と合併して聖和女子学院が成立、本校舎はその第一校舎となった。
52年、聖和女子短期大学の本館(旧1号館)落成後は、第二校舎と称せられた。
55年から61年までは、聖和第二幼稚園の園舎として使用された。
また、ここで行われていた日曜学校が、56年度から関西学院教会の日曜学校の聖和分校となった。
後に、日曜学校は教会学校と称せられるようになったが、聖和分校は81年度まで続いた。
69年、聖和女子大学の3号館の竣工に伴って、本校舎は4号館と称せられるようになった。
聖和幼稚園の日曜日礼拝にも使用された。
92年、西宮市都市景観形成建築物に指定された。
95年、阪神・淡路大震災によって損傷を受けたが、修復された。
2009年、本校舎は、神戸女子神学校の創立者の一人、J.E.ダッドレーを記念して、「ダッドレーメモリアルチャペル」と命名された。
現在、チャペル入口上に掲げられている木製のプレートは、神戸女子神学校の神戸校地のチャペル(1908年落成、現存せず)にあったもので、“Julia E. Dudley Memorial Chapel"と記されている。
【文献】『聖和保育史』1985;山形政昭『ヴォーリズの建築:ミッション・ユートピアと都市の華』1989;竹中正夫『ゆくてはるかに:神戸女子神学校物語』2000