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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

田中彰寛

たなかあきひろ

1903.5.1~1969.5.10

経済学部教授。
愛称「しょうかん」。
広島市に生まれる。
父は神学部第1回卒業生田中義弘。
牧師の家庭に育ち、1927年、京都帝国大学文学部独文科を卒業。
28年、関西学院文学部講師、32年、大学予科教授となるが、戦後の学院の組織改変に伴い、理工専門部、短期大学応用化学科、同英文科、新制大学経済学部教授を歴任した。
48年、結成直後の教職員組合の副組合長に就任し、院長の小宮孝とともに、学院最初の労働協約締結や学院民主化、待遇改善に取り組んだ。

 関西学院の主要な行事や礼拝でオルガン奏者を務め、また51年に発足した学院聖歌隊の指揮者を引き受け、音楽を通してキリストに仕えるという強い信仰と忍耐をもって聖歌隊を指導した。
その聖歌隊経験者による唱歓会も生まれ、62年には兵庫県教育功労者の表彰を受けた。
63年、「生命への畏敬」で知られ、赤道アフリカの医療に従事していたシュヴァイツァー博士(フランス・ストラスブールの神学者、バッハ音楽の研究家、オルガン奏者、医師)をアフリカに訪問。
64年、日本基督教団讃美歌委員会歌詞専門委員に選ばれて讃美歌第二編の作成に参加し訳詞を担当した。
65年から2年間、宗教活動委員会委員長を務め、69年3月、定年で退職。
なお、田中の記した日記(1936.1.1~38.6.15, 1939.10~1969)が娘中條順子の手元に遺されている。

【参照】Ⅰ 478,483;Ⅱ 11,184,188,193,201,288,321【文献】『文学語学論集』(田中彰寛先生退職記念)1969;『くわいあ―20年のあゆみ―』1972;『関西学院史紀要』(16)2010

田中彰寛

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