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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

中央講堂

 関西学院の歴史の中で中央講堂と呼ばれる建物は最初原田の森キャンパスに建設され、上ケ原キャンパスにも同名の講堂が建築された。

 原田の森キャンパスにおける1917年の中学部校舎焼失をきっかけに、改めて中学部、高等学部を含めた全体的な校舎建築計画が立案されることとなり、その中の2番目の事業として行われたのが中央講堂の建築であった。
この建築により、それまで中学部には生徒をすべて収容できるだけの設備がなく、礼拝は屋外で行われていたという問題が解消した。
この講堂は22年4月20日に献堂式が行われたが、正面に三角形の切妻破風(ぺディメント)およびドリス式の付柱を配した古典的デザインを持ち、建て坪は238坪(約785㎡)、ギャラリーを含めて1,600席を有し、その中に院長室、秘書課、礼拝主事室、社交室、食堂まで備え、学院行政の中枢機能を持つ中央講堂として位置付けられていた。
当時、神戸市東部方面にはこのような講堂はなく、神戸市民の文化的な行事の拠点としても利用された。

中央講堂(原田の森キャンパス)

 上ケ原移転後、新キャンパスにおける学院の主要な行事のための会場として、新中央講堂が初期の校舎建築構想に含められ、1929年のキャンパス竣工時に総務部と高等商業学部(後に大学商経学部)の間に配置された。
同年9月28日の移転祝賀と建物落成の祝賀を兼ねた40周年記念式はこの中央講堂で執り行われた。
ただし上ケ原キャンパスにおけるこの講堂はもっぱら集会の開催を目的としたもので、原田の森キャンパスのような学院中枢の機能を担わされる設備は置かれなかった。
建物はスパニッシュ・ミッション・スタイルで、鉄骨およびコンクリート造り、一部地階、中2階を有する1階建て、延べ床面積277坪(約914㎡)であった。
この建物は戦時下においては川西航空機に供出貸与されたり、終戦後、61年に講堂の改装が施され1階部分の拡幅、2階ギャラリー、組合事務所が置かれた。
大学紛争の際、全学学生集会や運動学生による大衆団交がここで行われたこともあった。
通常は、チャペル、講演会、大学院卒業式、種々のガイダンスなど年間を通じて利用されてきた。

 この講堂も建築後80年を経て老朽化、設備の不備などが指摘されるようになり、学院創立125周年記念事業の一つとして新たな講堂の建設を決定し、2013年2月9日「中央講堂感謝のつどい」を開催して、1929年の建物は解体された。
新講堂は、中央講堂(125周年記念講堂)と称され1200席の劇場型座席、リーガ社製パイプオルガンを設置するなど、学院の学術、文化、キリスト教主義活動の発信拠点としての役割がさらに期待されている。

【参照】Ⅰ 454

建設当時の中央講堂(上ケ原キャンパス)

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