[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
加藤誠之
かとうせいし
1907.11.25~1995.12.13
理事長。
三重県宇治山田に生まれる。
1930年、関西学院高等商業学部を卒業し、日本ゼネラルモータースに入社。
37年、トヨタ自動車工業設立と同時に同社に入社。
戦後の50年にトヨタ自動車販売設立に伴い同社に移り、75年、取締役社長、79年、取締役会長に就任。
82年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に伴って設立されたトヨタ自動車の監査役、相談役に、88年には顧問に就任。
トヨタにおいては販売の神様といわれた神谷正太郎とともにトヨタの販売網の基礎を築いた。
その間、多くの会社の役員を歴任、また、トヨタ財団理事、経済団体連合会理事、名古屋商工会議所副会頭、世界デザイン博覧会協会副会長兼理事長などの公職を歴任した。
80年7月、「日本経済新聞」の「私の履歴書」欄に執筆。
在学中は庭球部に所属。
「ノーブル・スタボネス」という当時の庭球部の部訓と賀川豊彦の講演「エターナル・ベイビイ」に感銘を受け、生涯これを座右の銘とした。
また、評議員、監事、理事を務め、89年から92年まで理事長を務めた。
【文献】『私の履歴書』(経済人19)1986
三重県宇治山田に生まれる。
1930年、関西学院高等商業学部を卒業し、日本ゼネラルモータースに入社。
37年、トヨタ自動車工業設立と同時に同社に入社。
戦後の50年にトヨタ自動車販売設立に伴い同社に移り、75年、取締役社長、79年、取締役会長に就任。
82年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に伴って設立されたトヨタ自動車の監査役、相談役に、88年には顧問に就任。
トヨタにおいては販売の神様といわれた神谷正太郎とともにトヨタの販売網の基礎を築いた。
その間、多くの会社の役員を歴任、また、トヨタ財団理事、経済団体連合会理事、名古屋商工会議所副会頭、世界デザイン博覧会協会副会長兼理事長などの公職を歴任した。
80年7月、「日本経済新聞」の「私の履歴書」欄に執筆。
在学中は庭球部に所属。
「ノーブル・スタボネス」という当時の庭球部の部訓と賀川豊彦の講演「エターナル・ベイビイ」に感銘を受け、生涯これを座右の銘とした。
また、評議員、監事、理事を務め、89年から92年まで理事長を務めた。
【文献】『私の履歴書』(経済人19)1986