[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
学生自治会
1945年11月、関西学院報国団の廃止に伴い、学生会が再結成され活動を再開した。
さらに48年の新制大学の発足で学生数が次第に増加し、学院が創立70周年を迎えた59年ごろには学生数は8,000名を超えて戦前の数倍に達し、各学部の学生活動も盛んになった。
そのような中で、57年、学生会は学生会規約を大幅に改正し、58年度から施行した。
当時の学生会は、各学部の学生自治会(神学会、文学会、法学会、経済学会、商学会)と、体育会、文化総部、新聞総部、宗教総部、応援団で構成されていたが、1960年の社会学部、61年の理学部の開設により、社会学部学生自治会と理学会がこれに加わり、また文化総部に所属していた放送研究部が独立して総部放送局となり、これら7つの学部学生自治会と6つの団体が最高執行機関である全学執行委員会のもとで戦後の学生会活動を盛んに行っていた。
しかし学費値上げ反対運動に始まる68年からの大学紛争で、学部自治会は次々に崩壊していった。
具体的には、法学会は1968年10月の役員任期切れ以後、正規の委員を選出できなくなった。
文学部学生自治会も69年には正規の自治会活動がみられなくなり、また同年1月には経済学会の執行部が解散し、6月には商学会の役員が任期切れとなった。
続いて72年9月には理学会の執行部が任期切れとなり、73年9月には社会学部学生自治会も執行部の任期切れとなって12月に解散宣言を行った。
しかし同年11月に法学部学生自治会(法学会)が再建され、学生自治会は神学部と法学部の2自治会となった。
93年度まで活動していた神学部学生会は94年度から執行部不在の状況が続いていたが、2009年に再建された。
【参照】Ⅱ 457【文献】関西学院大学学生会財務管理委員会『関西学院大学の歩き方How to create TRUE K.G.~学生会バージョン~』1999