[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
中学部会館
高中部本部棟東側にある、初代新制中学部長の矢内正一を記念する建物で、中学部会館とも矢内会館とも呼ばれているが、入口右側の壁面に「矢内先生記念中学部会館」の名がある。
玄関右側には、第2代部長の加藤秀次郎の起稿・直筆による、由来を記した銘板が掲げられている。
1965年3月の矢内の定年退職に際し、学院在職中に薫陶を受けたすべての教え子とその父母らが矢内の業績をたたえるための記念事業を興した。
当時の中学部PTAの尽力によって事業が進められ、7,000名を超える多数の人々の協賛を得た。
矢内記念中学部会館はその事業の一つとして建設され、中学部教育のために贈られた。
建築デザインは昭和40年代はじめによく見られたコンクリートの打ち放しである。
1階の小会議室、2階の会議室とも、中学部教育に不可欠の施設となり、教師会や生徒会の集会をはじめ、中学部PTAの日常活動に利用されてきた。
1995年1月の阪神・淡路大震災では被害が大きく、生徒の安全も考えていったん取り壊しの方針が出されたが、設計者の加藤邦男をはじめとする関係者の努力が実って、ほぼ半年後に修復された。
その際、補強策として、1階小会議室部分が北側へ拡張された。
2012年からの中学部男女共学化・定員増に伴って中学部棟が新たに建設されたこともあり、定例の会議での使用頻度は以前より減ったものの、各種の集会に引き続き活用されている。
1966年11月竣工。
鉄筋コンクリート造り、延べ床面積176.74㎡。
設計は卒業生で建築家の加藤邦男、施工は竹中工務店。
【参照】Ⅱ 304
玄関右側には、第2代部長の加藤秀次郎の起稿・直筆による、由来を記した銘板が掲げられている。
1965年3月の矢内の定年退職に際し、学院在職中に薫陶を受けたすべての教え子とその父母らが矢内の業績をたたえるための記念事業を興した。
当時の中学部PTAの尽力によって事業が進められ、7,000名を超える多数の人々の協賛を得た。
矢内記念中学部会館はその事業の一つとして建設され、中学部教育のために贈られた。
建築デザインは昭和40年代はじめによく見られたコンクリートの打ち放しである。
1階の小会議室、2階の会議室とも、中学部教育に不可欠の施設となり、教師会や生徒会の集会をはじめ、中学部PTAの日常活動に利用されてきた。
1995年1月の阪神・淡路大震災では被害が大きく、生徒の安全も考えていったん取り壊しの方針が出されたが、設計者の加藤邦男をはじめとする関係者の努力が実って、ほぼ半年後に修復された。
その際、補強策として、1階小会議室部分が北側へ拡張された。
2012年からの中学部男女共学化・定員増に伴って中学部棟が新たに建設されたこともあり、定例の会議での使用頻度は以前より減ったものの、各種の集会に引き続き活用されている。
1966年11月竣工。
鉄筋コンクリート造り、延べ床面積176.74㎡。
設計は卒業生で建築家の加藤邦男、施工は竹中工務店。
【参照】Ⅱ 304