[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
庭球部
1912年に原田の森キャンパスに誕生した庭球部は、20年までは軟式で、硬式に変わったのは日本テニス協会ができた21年頃である。
その年早くも吉田嘉寿男・小林了二組が毎日選手権で優勝した。
以降、関西学生選手権大会などで多くの優勝者を出し、全国大学王座決定戦でも8回優勝した。
デビス・カップ選手として佐藤俵太郎、木村雅信、柴田善久、松浦督、古田壌、本井満、小浦武志の7名を送り出している。
庭球部は “NOBLE STUBBORNNESS" (ノーブル・スタボネス)をスローガンに、この輝かしい伝統と栄光の火を絶やすことなく守り続けている。
NOBLE STUBBORNNESSは、「高貴な粘り」などと訳され、1920年秋に当時の畑歓三庭球部長(高等学部教授)が部員の精神的なよりどころとして与えたモットーで、各運動部員の共感を呼び、体育会全体のものとして受け継がれている。
最近の庭球部の戦績は、関西学生リーグ戦で男子は86回中47回の優勝を果たしている。
近年では2005年から09年に5連覇を成し遂げた。
女子は08年に初優勝し、11年から13年まで3連覇し、12、13年は、全国大学王座決定戦で2位となった。
8連覇中の早稲田大学を倒す最有力校に育っている。
【文献】『関西学院大学庭球部百年史』2013
その年早くも吉田嘉寿男・小林了二組が毎日選手権で優勝した。
以降、関西学生選手権大会などで多くの優勝者を出し、全国大学王座決定戦でも8回優勝した。
デビス・カップ選手として佐藤俵太郎、木村雅信、柴田善久、松浦督、古田壌、本井満、小浦武志の7名を送り出している。
庭球部は “NOBLE STUBBORNNESS" (ノーブル・スタボネス)をスローガンに、この輝かしい伝統と栄光の火を絶やすことなく守り続けている。
NOBLE STUBBORNNESSは、「高貴な粘り」などと訳され、1920年秋に当時の畑歓三庭球部長(高等学部教授)が部員の精神的なよりどころとして与えたモットーで、各運動部員の共感を呼び、体育会全体のものとして受け継がれている。
最近の庭球部の戦績は、関西学生リーグ戦で男子は86回中47回の優勝を果たしている。
近年では2005年から09年に5連覇を成し遂げた。
女子は08年に初優勝し、11年から13年まで3連覇し、12、13年は、全国大学王座決定戦で2位となった。
8連覇中の早稲田大学を倒す最有力校に育っている。
【文献】『関西学院大学庭球部百年史』2013