[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
戸隠山小屋
1955年に創部された体育会ワンダーフォーゲル部は、1959年山小屋建設委員会を発足させ、60年9月OB総会で戸隠案が承認され、土地購入手続きに入る一方、翌年3月に山小屋設計図が完成(同年6月に土地代完済)した。
しかし、上信越高原国立公園内であるため、長野県と監督官庁である厚生省がその山小屋の三角形の外観に難色を示したため、新設計に変更した。
60年8月に着工し、同年11月に50名程度収容できる山小屋の竣工式を行い活動を始めた。
しかし、財政的にワンダーフォーゲル部単独での運営が不可能となったため、72年以降、その施設の利用を広く学院の学生・生徒・教職員に開放することとなり、関西学院が山小屋運営へ補助金を出し、学院の管理下に置かれるようになった。
現在もワンダーフォーゲル部の活動の拠点の一つであるが、学内外の希望者も利用できるようになっている。
1,904mの戸隠山、飯綱山、黒姫山はじめ日本百名山に数えられる高妻山などを日帰り登山ができ、戸隠スキー場へは山小屋から歩いて数分、12月から3月まで粉雪が舞い、バラエティに富むコースでスキーを満喫できる。
【参照】Ⅱ 284【文献】『記録五十年の踏み跡:関西学院大学ワンダーフォーゲル部史』2006
しかし、上信越高原国立公園内であるため、長野県と監督官庁である厚生省がその山小屋の三角形の外観に難色を示したため、新設計に変更した。
60年8月に着工し、同年11月に50名程度収容できる山小屋の竣工式を行い活動を始めた。
しかし、財政的にワンダーフォーゲル部単独での運営が不可能となったため、72年以降、その施設の利用を広く学院の学生・生徒・教職員に開放することとなり、関西学院が山小屋運営へ補助金を出し、学院の管理下に置かれるようになった。
現在もワンダーフォーゲル部の活動の拠点の一つであるが、学内外の希望者も利用できるようになっている。
1,904mの戸隠山、飯綱山、黒姫山はじめ日本百名山に数えられる高妻山などを日帰り登山ができ、戸隠スキー場へは山小屋から歩いて数分、12月から3月まで粉雪が舞い、バラエティに富むコースでスキーを満喫できる。
【参照】Ⅱ 284【文献】『記録五十年の踏み跡:関西学院大学ワンダーフォーゲル部史』2006