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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

中村平三郎

なかむらへいざぶろう

元治元<1864>.5.24~1929.7.10

関西学院院主、幹事、普通学部教員。
大阪博労町の旧家に生まれる。
大阪集成学校と大阪英語学校で英語を学んだ後、「中村塾」と称する予備校的私塾を設立。
W.R.ランバスの大阪伝道で導かれ、1888年、O.A.デュークス(Dukes, Oscar Adolphus)より受洗。
ランバスとの親交により、翌89年9月6日、兵庫県知事あてに提出された「私立関西学院設立御願」の名義人となり、設立当初、実質的に外国人経営であった関西学院を代表して、日本政府や日本人教職員との交渉を担当する院主ならびに幹事としての職責を担う。
それとともに、普通学部最初の教員として英語と数学を担当。
93年7月に学院を退職後、神戸・元町にネル屋中村商店を開業、実業家としての道を歩む。
1912年には日本メソヂスト教会初代監督の本多庸一の急逝により関西学院理事に就任、また、南美以神戸教会幹事を務め教会運営の中核として活躍、同教会の教会堂(95年1月、阪神・淡路大震災にて倒壊、2004年新会堂再建)の建築委員長の重責も担った。

【参照】Ⅰ 89,113,126【文献】『神戸栄光教会七十年史』1958;『日本基督教団神戸栄光教会百年史』2005

中村平三郎

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