[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
丹羽俊彦
にわとしひこ
1886.3.9~1971.4.20
財務部長。
広島県三原市に生まれる。
1906年麻布中学校、11年、慶應義塾大学理財科を卒業し、千代田生命保険に入社。
関西信託に転じ重役も務め41年まで勤務。
戦後、関西学院の財政危機を克服するため神崎驥一院長の招きによって45年9月に理事に迎えられ、47年3月に財務部長に就任、一時は総務部長も兼務した。
宣教師主導の経営を引き継ぎ、今日の健全財政主義の路線を築きその基盤を明確化するのに貢献した。
戦後の院長公選制に入った後も歴代院長を助け、小宮孝院長が選出されて新しい体制に入った58年に、定年で退職した。
妻安喜子は1919年に与謝野鉄幹、晶子に師事し、自ら詩作。
明治・大正・昭和初期に出版された近代短歌集のほとんどを初版の形で収集した。
このコレクションは安喜子の夫俊彦から59年大学図書館に丹羽記念文庫として寄贈された。
【参照】Ⅱ 37,66【文献】『関西学院七十年史』1959
広島県三原市に生まれる。
1906年麻布中学校、11年、慶應義塾大学理財科を卒業し、千代田生命保険に入社。
関西信託に転じ重役も務め41年まで勤務。
戦後、関西学院の財政危機を克服するため神崎驥一院長の招きによって45年9月に理事に迎えられ、47年3月に財務部長に就任、一時は総務部長も兼務した。
宣教師主導の経営を引き継ぎ、今日の健全財政主義の路線を築きその基盤を明確化するのに貢献した。
戦後の院長公選制に入った後も歴代院長を助け、小宮孝院長が選出されて新しい体制に入った58年に、定年で退職した。
妻安喜子は1919年に与謝野鉄幹、晶子に師事し、自ら詩作。
明治・大正・昭和初期に出版された近代短歌集のほとんどを初版の形で収集した。
このコレクションは安喜子の夫俊彦から59年大学図書館に丹羽記念文庫として寄贈された。
【参照】Ⅱ 37,66【文献】『関西学院七十年史』1959