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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

能楽部

 明治の終わりごろに、原田の森キャンパスではすでに謡曲の同好十数名が活動していたが、1912年6月に学生会が設立されると同時に音楽部邦楽会に属し謡曲会と称した。
原田の森後期以降、隆盛を迎え、28年12月に御大典奉祝移転記念素謡会を行い、学生謡曲界に一大転換を与え万丈の気焔を挙げた。

 上ケ原移転以降は能楽の大衆化とともに素人能、謡曲大会等の催しが各地で行われるようになる。
学生界でも学生能楽連盟の前身である関西四大学謡曲連盟が組織され、謡曲会も所属した。
1942年、卒業生、現役部員で構成される観声会によって第1回定期謡曲大会が大阪で開催された。
しかし、戦争激化のため活動は中断。
戦後再建され謡曲部と改称し、関学祭や関西学生能楽連盟による春秋2度の大会において舞台を重ねた。

 1959年には関西学院創立70周年を記念した素謡大会において「日本宣教」を披露した。
この曲は56年に神戸栄光教会70周年記念に同教会牧師の斉藤宗治によって作詞され、その後59年に謡曲部に譲渡され、新たに作詞・曲付を行い、学院創立者のW.R.ランバスへの奉祝曲として完成させたものである。
70年代前半から仕舞や舞囃子にも力を入れ始めたことから、能楽部と改称し、上田観正会能楽堂における関学能楽部自演会も2000年に第30回を迎えた。
12年に創部100周年を迎え記念式典を行い、『関西学院大学能楽部100周年記念誌―100周年のあゆみ―』を発行した。
そのほか、関西学生能楽連盟春季大会、神戸三大学合同舞台に参加している。

【文献】『関西学院大学能楽部100周年記念誌―100周年のあゆみ―』2012
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