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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

畑歓三

はたかんぞう

1880.8.16~1957.1.31

高等学部教授、旧制中学部長。
香川県丸亀に生まれる。
本名は歡三。
出生届に觀三と誤記され、以後、觀・観・歡・歓の字を随時使った。

1897年9月、松山中学校から関西学院普通学部普通科第3学年に転入。
自助会とグリークラブ、野球部に参加。
神戸では初めての曲球(カーブ)を投げた。
早稲田大学文学専門部を第1回生として卒業。
麻布中学校教師を経て、12年12月に渡米。
バークレー市山手のスプルース街に、普通科の2年後輩でのちに第5代院長となる神崎驥一とともに住み4年2カ月滞在。
カリフォルニア大学大学院で美学、ギリシャ哲学を専攻。
17年、関西学院高等学部教授となり、主として英作文を担当。
当初は美学も講じた。
20年秋、不振の続く庭球部顧問として “NOBLE STUBBORNNESS"(ノーブル・スタボネス:高貴な粘り)の標語を部員に与え、これは今では体育会全体のモットーになっている。
28年9月、関西学院を退職して3度目のアメリカ渡航を行い、南米とヨーロッパをまわって30年に帰学し、高等商業学部、専門部文学部、商経学部講師となる。
45年3月から47年6月の旧制中学部長を最後に退職。
部長時代にアメリカの大学歌の旋律を使って応援歌「大空に高く」を作った。

【参照】Ⅰ 182,346,489;Ⅱ 719【文献】『開校四十年記念 関西学院史』1929;『阿ゆみ』(『三日月の影』分冊第1輯,私家版)1951

畑歓三

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