[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
法学部
【沿革】
1932年3月、関西学院大学の設立が正式に認可され、大学予科がスタートした。
34年4月予科の修了生を迎えて、大学学部が法文学部と商経学部の2学部体制でスタートした。
法文学部は文学科と法学科の2学科で構成され、法学科には法律学、政治学の2専攻が置かれた。
法学科はそれまでの既存大学法学部が単なる国家試験の準備教育であったり、解釈法学に終始したりしていたこととは異なる、当時としてはユニークな法の根底となるものを考究する社会学的・哲学的アプローチを目指すものとされた。
法学科の専任教授陣としては、憲法学・法理学担当の中島重教授、行政法学・行政学担当の田村徳治教授、政治学・社会心理学担当の大石兵太郎助教授、民法学担当の石本雅男助教授の4名であった。
また、関西学院にとって初めての法学系学科ということもあり、顧問として牧野英一東京帝国大学教授(刑法学)と学院普通学部同窓の皆川治広前司法次官が委嘱された。
その後、刑法学担当として大森英太郎助教授、民事訴訟法・法制史担当として三戸寿助教授が着任し、充実が図られた。
第2次世界大戦中、学院は幾度か存亡の危機にさらされ、ことに1943年秋の在学徴集猶予の停止措置は文系を主力とする学院にとっては重大な局面であった。
学院はこの危機に際して44年4月、大学商経学部の募集停止と専門部文学部と高等商業学校を統合して専門学校政経科とするなどの組織再編を行ったが、大学法文学部は存続した。
戦後、学院の再建が図られ、1946年4月より法文・商経の2学部制を廃し、法文学部の分離が行われ、文学部、法学部、経済学部の3学部制となった。
初代法学部長には石本雅男教授が選任された。
48年4月、新制大学法学部が誕生し、引き続き石本教授が学部長を務めた。
新制の法学部は法律学科と政治学科の2学科制をとった。
これは旧制大学法学部の法律学専攻と政治学専攻をそのまま受け継いだものである。
当時、法学部に政治学科を設置している大学は全国的にも数が少なく、特色の一つとなった。
法学部発足に際し、引き続き教授陣の充実に力が入れられた。
1948年4月発足時の教授陣は、大石兵太郎、石本雅男、三戸寿、武内辰治、清水兼男、中井淳、大谷英一、浜田一男各教授、実方正雄兼任教授、足立忠夫、山本正太郎、飛沢謙一各助教授、品川登専任講師の13名および深瀬秀、安屋和人、村西義一各助手であった。
法学部は順調に発展し、戦争および戦後の混乱により中断され、制約されていた学術研究も次第に活発になった。
49年11月には法政学会が設立された。
これは法学部教員と学生が参加し、機関誌『法と政治』の刊行とその他の学術活動を行うことを目的としたもので、当時としては全国的にも珍しいものであった。
〔研究科〕1932年3月、大学令による関西学院大学の設置が認可されるとともに、旧制大学院の設置も認可された。
旧制大学院では指導教員の個別指導が中心で、いわゆるカリキュラムなどもなく小規模であった。
最初の卒業生を出した37年には法文学部から7名が大学院に入学を希望して全員が許可された。
しかし、翌年には2名の希望にとどまり、許可されたものの、前年入学した学生中在籍者は1名のみという状況であった。
50年3月、関西学院大学は同志社大学、関西大学、立命館大学とともに新制大学院修士課程の設置認可を受けた。
このとき、法学研究科には政治学専攻の修士課程が設置され、52年4月に基礎法学専攻が設けられた。
54年3月には博士課程の設置が認可された。
法学研究科博士課程については、基礎法学専攻の設置が認められた。
59年には政治学専攻の設置が認められた。
63年には、修士課程と博士課程にそれぞれ民刑事法学専攻の設置が認められた。
【現状】
〔学生〕学部の入学定員は、法律学科520名、政治学科160名の計680名である。
学生数は、1年生664名、2年生696名、3年生682名、4年生825名の計2,867名(2014年5月1日現在)。
大学院法学研究科の入学定員は、博士課程前期課程の法学・政治学専攻が45名、博士課程後期課程が政治学専攻2名、基礎法学専攻2名、民刑事法学専攻2名の計6名。
学生数は、前期課程の法学・政治学専攻が39名、後期期課程が政治学専攻1名、基礎法学専攻0名、民刑事法学専攻4名の計5名である(2014年5月1日現在)。
新制博士学位授与者は甲号17名、乙号20名である(2013年度末現在)。
〔教職員〕専任教員は、教授50名、准教授3名,助教1名の計54名である(2014年5月1日現在)。
教員は、5つの研究室(政治、基礎法、私法、公法、外国語)のいずれかに所属する。
また、教育・研究の補助業務のため実験実習指導補佐3名を採用している。
職員は、事務室が専任7名、アルバイト4名の計11名、資料室が契約職員1名、派遣職員1名、アルバイト1名の計3名である(2014年5月1日現在)。
〔教育〕法学部の教育は、法学部の理念である “Social Approach" を指針としている。
この理念は、H.F.ウッズウォース初代法文学部長の言葉に由来するものであり、①民間における自由の精神、②広く深い社会的視野と教養、③社会貢献(奉仕)の精神の3点を重視するものである。
法学部では、この理念に基づいて、①科学的な思考方法の修得、②広範な知識と社会的視野の獲得、③正しい価値観と豊かな人間性の形成、④人権感覚の陶冶、⑤国際的地球的な視野の確保という5つの教育目標を設定するとともに、これを具体化する実施目標として、①学生の多様な進路希望の実現に資する、高い社会的評価が得られる能力の習得(ア.法科大学院進学希望者に対する教育の充実、イ.企業法務を希望する者に対する教育の充実、ウ.国際感覚を生かせる職業分野への進出の支援、エ.市民的公共を踏まえた政策形成人材の養成)、②少人数教育による学生間・教員学生間での刺激に満ちた人格形成の2点を設定している。
この教育目標および実施目標に基づき、法律学科と政治学科を横断するかたちで、①司法特修、②司法、③企業法務、④国際法政、⑤公共政策、⑥政治システムの6つのコースが設定され、学生が自らの進路希望に基いてコース選択できるように、カリキュラムの編成が行われている。
2011年には、こうした理念および教育目標に基づき、①〔関心・意欲〕法学や政治学の視座から市民社会における自由の精神や基本的人権の重要性を理解し、社会に貢献しようとする関心と意欲を有する、②〔知識・理解〕広い社会的視野と教養を有し、法学または政治学の専門的知識を修得している、③〔技能・表現〕グローバル化する市民生活に不可欠な実践的学習能力とスキルおよびコミュニケーション能力を有する、④〔思考・判断〕課題発見・解決のための総合的思考力と判断力とともに、法律学科学生においては法的思考(リーガル・マインド)を、また政治学科学生は市民社会的思考(シヴィック・マインド)を身につけている、との4項を満たしたと認められるものに法学士の学位を授与するというディプロマ・ポリシー(学位授与方針)も設定された。
〔学生活動〕法学部には全法学部生を構成員とする自治会である法学部学生自治会がある。
カリキュラム、勉学施設改善のための活動、学生同士の連帯を深めるためのイベント等を行っている。
さらに、自治会傘下団体として5つの研究部(政治学研究部、法律研究部、憲法研究部、司法試験研究部、時事英語研究部)が設けられており、それぞれ活発な研究活動を行っている。
また、独自の組織「法政学会」があり、機関誌『法と政治』の発行、特別講座や学術講演会の開催、他大学の学生も参加する法律討論会の開催等、幅広く活動している。
〔研究活動〕教員および大学院生の研究成果発表の場として「法学部研究会」を開催している。
また、外国からの研究者を迎えて行う「特別研究会」がある。
これらの研究会は法学部のみならず学内に公開されている。
『法と政治』(1949創刊)は、年4回発行され、法政学会会員である教員、学生だけでなく、全国の関係教育研究機関に広く配布されて本学法学部の研究成果の発表の場として評価されている。
【参照】Ⅱ 128【文献】『関西学院大学法学部五十年史』2000
1932年3月、関西学院大学の設立が正式に認可され、大学予科がスタートした。
34年4月予科の修了生を迎えて、大学学部が法文学部と商経学部の2学部体制でスタートした。
法文学部は文学科と法学科の2学科で構成され、法学科には法律学、政治学の2専攻が置かれた。
法学科はそれまでの既存大学法学部が単なる国家試験の準備教育であったり、解釈法学に終始したりしていたこととは異なる、当時としてはユニークな法の根底となるものを考究する社会学的・哲学的アプローチを目指すものとされた。
法学科の専任教授陣としては、憲法学・法理学担当の中島重教授、行政法学・行政学担当の田村徳治教授、政治学・社会心理学担当の大石兵太郎助教授、民法学担当の石本雅男助教授の4名であった。
また、関西学院にとって初めての法学系学科ということもあり、顧問として牧野英一東京帝国大学教授(刑法学)と学院普通学部同窓の皆川治広前司法次官が委嘱された。
その後、刑法学担当として大森英太郎助教授、民事訴訟法・法制史担当として三戸寿助教授が着任し、充実が図られた。
第2次世界大戦中、学院は幾度か存亡の危機にさらされ、ことに1943年秋の在学徴集猶予の停止措置は文系を主力とする学院にとっては重大な局面であった。
学院はこの危機に際して44年4月、大学商経学部の募集停止と専門部文学部と高等商業学校を統合して専門学校政経科とするなどの組織再編を行ったが、大学法文学部は存続した。
戦後、学院の再建が図られ、1946年4月より法文・商経の2学部制を廃し、法文学部の分離が行われ、文学部、法学部、経済学部の3学部制となった。
初代法学部長には石本雅男教授が選任された。
48年4月、新制大学法学部が誕生し、引き続き石本教授が学部長を務めた。
新制の法学部は法律学科と政治学科の2学科制をとった。
これは旧制大学法学部の法律学専攻と政治学専攻をそのまま受け継いだものである。
当時、法学部に政治学科を設置している大学は全国的にも数が少なく、特色の一つとなった。
法学部発足に際し、引き続き教授陣の充実に力が入れられた。
1948年4月発足時の教授陣は、大石兵太郎、石本雅男、三戸寿、武内辰治、清水兼男、中井淳、大谷英一、浜田一男各教授、実方正雄兼任教授、足立忠夫、山本正太郎、飛沢謙一各助教授、品川登専任講師の13名および深瀬秀、安屋和人、村西義一各助手であった。
法学部は順調に発展し、戦争および戦後の混乱により中断され、制約されていた学術研究も次第に活発になった。
49年11月には法政学会が設立された。
これは法学部教員と学生が参加し、機関誌『法と政治』の刊行とその他の学術活動を行うことを目的としたもので、当時としては全国的にも珍しいものであった。
〔研究科〕1932年3月、大学令による関西学院大学の設置が認可されるとともに、旧制大学院の設置も認可された。
旧制大学院では指導教員の個別指導が中心で、いわゆるカリキュラムなどもなく小規模であった。
最初の卒業生を出した37年には法文学部から7名が大学院に入学を希望して全員が許可された。
しかし、翌年には2名の希望にとどまり、許可されたものの、前年入学した学生中在籍者は1名のみという状況であった。
50年3月、関西学院大学は同志社大学、関西大学、立命館大学とともに新制大学院修士課程の設置認可を受けた。
このとき、法学研究科には政治学専攻の修士課程が設置され、52年4月に基礎法学専攻が設けられた。
54年3月には博士課程の設置が認可された。
法学研究科博士課程については、基礎法学専攻の設置が認められた。
59年には政治学専攻の設置が認められた。
63年には、修士課程と博士課程にそれぞれ民刑事法学専攻の設置が認められた。
【現状】
〔学生〕学部の入学定員は、法律学科520名、政治学科160名の計680名である。
学生数は、1年生664名、2年生696名、3年生682名、4年生825名の計2,867名(2014年5月1日現在)。
大学院法学研究科の入学定員は、博士課程前期課程の法学・政治学専攻が45名、博士課程後期課程が政治学専攻2名、基礎法学専攻2名、民刑事法学専攻2名の計6名。
学生数は、前期課程の法学・政治学専攻が39名、後期期課程が政治学専攻1名、基礎法学専攻0名、民刑事法学専攻4名の計5名である(2014年5月1日現在)。
新制博士学位授与者は甲号17名、乙号20名である(2013年度末現在)。
〔教職員〕専任教員は、教授50名、准教授3名,助教1名の計54名である(2014年5月1日現在)。
教員は、5つの研究室(政治、基礎法、私法、公法、外国語)のいずれかに所属する。
また、教育・研究の補助業務のため実験実習指導補佐3名を採用している。
職員は、事務室が専任7名、アルバイト4名の計11名、資料室が契約職員1名、派遣職員1名、アルバイト1名の計3名である(2014年5月1日現在)。
〔教育〕法学部の教育は、法学部の理念である “Social Approach" を指針としている。
この理念は、H.F.ウッズウォース初代法文学部長の言葉に由来するものであり、①民間における自由の精神、②広く深い社会的視野と教養、③社会貢献(奉仕)の精神の3点を重視するものである。
法学部では、この理念に基づいて、①科学的な思考方法の修得、②広範な知識と社会的視野の獲得、③正しい価値観と豊かな人間性の形成、④人権感覚の陶冶、⑤国際的地球的な視野の確保という5つの教育目標を設定するとともに、これを具体化する実施目標として、①学生の多様な進路希望の実現に資する、高い社会的評価が得られる能力の習得(ア.法科大学院進学希望者に対する教育の充実、イ.企業法務を希望する者に対する教育の充実、ウ.国際感覚を生かせる職業分野への進出の支援、エ.市民的公共を踏まえた政策形成人材の養成)、②少人数教育による学生間・教員学生間での刺激に満ちた人格形成の2点を設定している。
この教育目標および実施目標に基づき、法律学科と政治学科を横断するかたちで、①司法特修、②司法、③企業法務、④国際法政、⑤公共政策、⑥政治システムの6つのコースが設定され、学生が自らの進路希望に基いてコース選択できるように、カリキュラムの編成が行われている。
2011年には、こうした理念および教育目標に基づき、①〔関心・意欲〕法学や政治学の視座から市民社会における自由の精神や基本的人権の重要性を理解し、社会に貢献しようとする関心と意欲を有する、②〔知識・理解〕広い社会的視野と教養を有し、法学または政治学の専門的知識を修得している、③〔技能・表現〕グローバル化する市民生活に不可欠な実践的学習能力とスキルおよびコミュニケーション能力を有する、④〔思考・判断〕課題発見・解決のための総合的思考力と判断力とともに、法律学科学生においては法的思考(リーガル・マインド)を、また政治学科学生は市民社会的思考(シヴィック・マインド)を身につけている、との4項を満たしたと認められるものに法学士の学位を授与するというディプロマ・ポリシー(学位授与方針)も設定された。
〔学生活動〕法学部には全法学部生を構成員とする自治会である法学部学生自治会がある。
カリキュラム、勉学施設改善のための活動、学生同士の連帯を深めるためのイベント等を行っている。
さらに、自治会傘下団体として5つの研究部(政治学研究部、法律研究部、憲法研究部、司法試験研究部、時事英語研究部)が設けられており、それぞれ活発な研究活動を行っている。
また、独自の組織「法政学会」があり、機関誌『法と政治』の発行、特別講座や学術講演会の開催、他大学の学生も参加する法律討論会の開催等、幅広く活動している。
〔研究活動〕教員および大学院生の研究成果発表の場として「法学部研究会」を開催している。
また、外国からの研究者を迎えて行う「特別研究会」がある。
これらの研究会は法学部のみならず学内に公開されている。
『法と政治』(1949創刊)は、年4回発行され、法政学会会員である教員、学生だけでなく、全国の関係教育研究機関に広く配布されて本学法学部の研究成果の発表の場として評価されている。
【参照】Ⅱ 128【文献】『関西学院大学法学部五十年史』2000