[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
『母校通信』
同窓会発行の機関誌。
現在約17万部を年2回発行。
1948年6月1日付の創刊号は、タブロイド判2ページで、北濱留松幹事長(学院理事長)をはじめとする関西学院支部の有志によって作成された。
1面は発行の3カ月前に逝去した吉岡美国第2代院長の追悼特集で、2面では新学制に切り替わったばかりの学院の様子を細かく報じている。
第3号ではB5判28ページ立ての冊子となり、充実した内容に成長している。
以後、同窓有志のボランティアで年2回の発行が続けられ、97年秋に第100号を迎えた。
郵送費の高騰により本誌の重量を抑えざるを得なくなり、第52号(1974年秋号)から現在のB5変型判にして129号(2012年春号)まで続いた。
これまで表紙以外は白黒であったが、時代ニーズの変化にあわせて2014年関西学院創立125周年を迎えるにあたり、第130号(2012年秋号)から全ページカラーのA4判にリニューアルした。
1995年に別冊『母校通信』として同窓と在学生とを結ぶことを目的とする冊子『ティエラ』(A4変型判、20ページ)が創刊された。
同窓会が学生に向けて発信する媒体はこれまでになかった試みのもので、年1回発行されている。
同窓会報としては1898年12月に『関西学院同窓会報』第1号が発行されており、これを始まりとして学院の歴史、同窓会組織の変遷にあわせて、高等商業学部同窓会の会報(1924.6-1938.7)や商科同窓会(商友会)の会報(1924.6)などが発行されていた。
同窓会の組織は各部ごとに運営される同窓会によって形成され、必要に応じて協力するという方法をとっていたが、それでは同窓生全体の親睦融和を欠くとして合同の同窓会の結成を模索する時代が続いた。
1938年にようやく合同同窓会が実現し、あわせて『同窓会報』が発行されたが、戦争により中断を余儀なくされた。
現在刊行されている『母校通信』はこれらを前身としている。
現在約17万部を年2回発行。
1948年6月1日付の創刊号は、タブロイド判2ページで、北濱留松幹事長(学院理事長)をはじめとする関西学院支部の有志によって作成された。
1面は発行の3カ月前に逝去した吉岡美国第2代院長の追悼特集で、2面では新学制に切り替わったばかりの学院の様子を細かく報じている。
第3号ではB5判28ページ立ての冊子となり、充実した内容に成長している。
以後、同窓有志のボランティアで年2回の発行が続けられ、97年秋に第100号を迎えた。
郵送費の高騰により本誌の重量を抑えざるを得なくなり、第52号(1974年秋号)から現在のB5変型判にして129号(2012年春号)まで続いた。
これまで表紙以外は白黒であったが、時代ニーズの変化にあわせて2014年関西学院創立125周年を迎えるにあたり、第130号(2012年秋号)から全ページカラーのA4判にリニューアルした。
1995年に別冊『母校通信』として同窓と在学生とを結ぶことを目的とする冊子『ティエラ』(A4変型判、20ページ)が創刊された。
同窓会が学生に向けて発信する媒体はこれまでになかった試みのもので、年1回発行されている。
同窓会報としては1898年12月に『関西学院同窓会報』第1号が発行されており、これを始まりとして学院の歴史、同窓会組織の変遷にあわせて、高等商業学部同窓会の会報(1924.6-1938.7)や商科同窓会(商友会)の会報(1924.6)などが発行されていた。
同窓会の組織は各部ごとに運営される同窓会によって形成され、必要に応じて協力するという方法をとっていたが、それでは同窓生全体の親睦融和を欠くとして合同の同窓会の結成を模索する時代が続いた。
1938年にようやく合同同窓会が実現し、あわせて『同窓会報』が発行されたが、戦争により中断を余儀なくされた。
現在刊行されている『母校通信』はこれらを前身としている。