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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

三戸吉太郎

みときちたろう

慶応3<1867>.11.17~1925.5.2

牧師。
日本メソヂスト教会日曜学校局局長。
広島市に生まれる。
夜学で学んでいた頃、砂本貞吉の話を聞き、キリスト教と出合う。
87年クリスマスに広島で、W.R.ランバスより受洗。
翌年、南美以教会派遣の神学生として加伯利英和学校(現、長崎鎮西学院)へ入学したが、89年9月関西学院の設立に伴い神学部へ転学した。
若い頃から、児童の宗教教育を自らの使命とし、神学生時代から、後に赴任することになる多度津、御影、宇和島など、各地のメソヂスト教会の日曜学校と深く関わっていた。
この時期に子ども讃美歌の編集、日曜学校出席時に子どもに配る聖書カードを貼るカード貼の考案、児童説教といわれる子ども向けのお話などをすでに試みている。

 1896年、神学部卒業後、多度津教会牧師として赴任するが、「ハミル博士と日曜学校に熱心な実業家ペッパー氏の招請により」数カ月、米国や欧州の日曜学校へ視察旅行を行った。
その後は、多度津、宇和島、岩国、御影などの日本メソヂスト教会の諸教会を歴任し、赴任した諸教会において日曜学校の発展に努めた。
その一方で、教派を越えた日曜学校運動を推進し、1918年には原田の森の関西学院構内に建設されたハミル館で「ハミル日曜学校教師養成所」を設立し、日本の日曜学校事業のさらなる充実発展に尽くした。
日本メソヂスト教会日曜学校局局長、日本日曜学校協会理事などの要職を務め、また関西学院神学部、ランバス記念伝道女学校、ランバス女学院で日曜学校管理法などの講義も担当した。
編著書に、『えほばを賛美せよ』(1889)、『訓蒙 神の話』(1896)などがある。

【参照】Ⅰ 382,385,404-407【文献】『関西学院史紀要』(18)2012

三戸吉太郎

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