[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
尾崎八郎
おざきはちろう
1941.2.8~
第3代高中部長兼中学部長。
2001年3月に退職。
関西学院中学部、高等部を経て大学文学部史学科を1963年に卒業、大学院に進学したが、翌年社会科(歴史)教諭として中学部に就任。
中学部の中核教員として活躍し、86年に同副部長に就任した後、高中一部長制を廃止し中学部長制を復活させた95年に中学部長に就任、同時に第3代高中部長を兼任した。
初代中学部長矢内正一の新制中学部創設の理念を継承し展開することに意を用い、キリスト教主義私立学校の存立意義としてプロテスト性とチャレンジ性に重きを置きつつ、全人教育の充実に尽力した。
学年を超えた生徒の交友を築くための「ハウス制」を新たに作り上げ、必修科目を週5日として生徒の自主的選択を重んじる「土曜講座」を開始するなど、創意に富む多くの改革を実施した。
2001年に現在の啓明学院の前身である啓明女学院中学校・高等学校の校長に就任。
その後啓明学院中学校・高等学校校長として教育現場に携わりつつ同学院の改革を進めた。
2010年から同学院の理事長・院長(院長は2013年度まで)。
【文献】近藤隆己『世の光、地の塩:尾崎八郎物語』2004
2001年3月に退職。
関西学院中学部、高等部を経て大学文学部史学科を1963年に卒業、大学院に進学したが、翌年社会科(歴史)教諭として中学部に就任。
中学部の中核教員として活躍し、86年に同副部長に就任した後、高中一部長制を廃止し中学部長制を復活させた95年に中学部長に就任、同時に第3代高中部長を兼任した。
初代中学部長矢内正一の新制中学部創設の理念を継承し展開することに意を用い、キリスト教主義私立学校の存立意義としてプロテスト性とチャレンジ性に重きを置きつつ、全人教育の充実に尽力した。
学年を超えた生徒の交友を築くための「ハウス制」を新たに作り上げ、必修科目を週5日として生徒の自主的選択を重んじる「土曜講座」を開始するなど、創意に富む多くの改革を実施した。
2001年に現在の啓明学院の前身である啓明女学院中学校・高等学校の校長に就任。
その後啓明学院中学校・高等学校校長として教育現場に携わりつつ同学院の改革を進めた。
2010年から同学院の理事長・院長(院長は2013年度まで)。
【文献】近藤隆己『世の光、地の塩:尾崎八郎物語』2004