[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
応援団総部
1945年、戦後の学生スポーツ隆盛に伴い「学院に応援団を創ろう」という気運が高まった。
46年、わずかの有志で同好会を結成、その年の暮れに本郷博造を初代団長に選任し応援団が正式に発足した。
戦前にも応援団があったとの記録は残されているが、公式に学院から認可されたのはこの時からである。
54年、応援活動をより立体的、効果的にするためブラスバンド部(後、吹奏楽部)を設立、同年春には応援歌「新月旗の下に」(武石幸雄作詞、石田清和喜作曲)が作成された。
充実期に入った56年には総務部、リーダー部、ブラスバンド部の3部が確立し、ここに「総部」が成立した。
1950年代には、大学野球関関戦の前夜祭として応援団の「御堂筋パレード」が定着。
62年には吹奏楽部が第10回全日本吹奏楽コンクールで初優勝。
66年、新たにバトントワリング部が加入した。
大学紛争中の68年6月に応援団総部リーダー部の解散要求が出され、全学学生集会にて可決。
解散を余儀なくされたが、翌年には指導部として再建。
このころ吹奏楽部は海外遠征にも数多く出かけ、多くの収穫を得た。
以後、関西吹奏楽コンクール、全日本吹奏楽コンクールで輝かしい成績を収め、KGサウンドを確立した。
バトントワリング部も1983年、84年と関西バトンコンテスト2連覇。
86年にはチームポンポンの部、フェスティバル部門でグランプリを受賞し、86年にはチアリーダー部として新たにスタートした。
現在の活動は、体育会の応援だけでなく、全関学生、同窓生ひいては学院全体を盛り上げるという大目標のもと活動している。
また、2006年からは学外に出向き一般人を対象にした「そんなあなたを応援します」と題する活動を開始している。
現在、定期的な活動として、大学祭期間中に実施している「応援団総部祭」、加盟している関西四私立大学応援団連盟の「連盟祭」、吹奏楽部の「定期演奏会」「春のコンサート」、チアリーダー部の″Winter Festa″などがある。
応援団総部の精神的支柱は「愛され且つ信頼される応援団」であり今もその伝統を受け継いでいる。
【文献】『関西学院大学応援団総部の50年』1996