メニュー

関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

英文科

(短期大学 1950-1957)

1946年に戦前の専門学校の改編が行われ、関西学院専門学校文学専門部が開設され、それまでの英文科と社会科を人文科と改めて2科を設けて、46、47年と学生募集が行われた。
しかし新制大学の設置に伴い48年には学生募集を停止し、その教育を新制大学に委託した。
その際に神崎驥一院長の提唱するジュニア・カレッジ構想や新学制による旧専門学校制度の廃止により、学院内での組織改編の検討が進み、49年文部省により短期大学の設置が認められたことを受けて、それまでの文学専門部は短期大学英文科へと組織的に継承され50年4月、関西学院短期大学が開設された。

 英文科においては、もっぱら実用的な英語を課し、文化事業などの知識技能を授けるとともに、文化的教養ある人材を養成するものとされた。
新しく短期大学のための校舎(後の大学本館、現、大学院1号館として建て替え)が建設され、最初の英文科長は加藤秀次郎商科長が兼任し、英文科最初の入学生は女子8名を含む99名であった。
英文科では1951年度より教職課程が設置され、その課程を履修する者は一般教育科目・専門科目に重点を置き、それ以外の学生は選択科目の幅を広げた形で専門科目に重点を置いた教育がなされた。
開設後4年目にして女子学生が入学者の3分の1を超えたが、これは当時の短期大学が一般的に女子教育機関として理解されていたことを反映するものでもあった。
さらにこの年、短期大学卒業生のために英語専攻をもつ修業年限1年の専攻科も設けられた。

 しかし、短期大学卒業生の進路選択が徐々に難しくなり、さらに関西学院では短期大学卒業生に大学3年次への編入が認められることもあって短期大学の存在理由が薄れた。
1956年に学生募集を停止し、57年3月、最後の卒業式を挙行、少数の残留生と58年3月まで開講される専攻科学生が残った。
短期大学が完全に廃止されたのは58年で、英文科教員は大学文学部などに移籍した。

【参照】Ⅱ 173

門衛室

TOP