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関西学院事典(増補改訂版)

[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]

内村鑑三

うちむらかんぞう

万延2<1861>.2.13~1930.3.28

明治・大正期のキリスト伝道者、思想家。
江戸に生まれる。
キリスト教解禁の1873年、赤坂の有馬英学校入学。
74年、東京外国語学校英語学下等第四級に編入。
77年、札幌農学校第2期生として入学、W.S.クラークが前年に残した「イエスを信ずる者の契約」に1期生佐藤昌介らとともに署名。
78年、メソヂスト監督教会のM.C.ハリスにより受洗。
81年、主席で卒業後、開拓使御用掛となり、農商務省水産課に勤務。
84年渡米、エルウィンの精神薄弱児養護施設の看護人となる。
85年、アマースト大学編入、J.H.シーリー学長の指導で、回心を体験、福音主義信仰に立つ。
アマースト大学卒業の87年にハートフォード神学大学に入学。
同校を退学し、88年に帰国、北越学館(館主、加藤勝弥)に就職。
90年、第一高等中学校嘱託教員となるが、91年、不敬事件のため依願免職。
92年、同志社出身の宮川経輝の泰西学館の教員となる。
93年4月、泰西学館を辞し、熊本英学校に赴任。
同年7月、京都に移住。
95年、『余は如何にして基督教徒となりし乎』を英文で刊行。
96年、名古屋英和学校の教師となる。
1900年、『聖書之研究』を創刊。
日露戦争で非戦論を唱え、足尾鉱毒事件でも講演その他で活躍した。
『内村鑑三全集』がある。

1893年10月6日、「如何ニシテ自己ノ天職ヲ知ルベキ乎」を関西学院基督教青年会(委員長蘆田慶治、礼拝委員釘宮辰生)で講演。
以後、96年に開催された青年会の夏期講習会で原田助、海老名弾正、宮川経輝らとともに「地理学研究の方法、歴史学研究の方法、伝記学研究の方法、基督教人生観、基督教宇宙観」をテーマとする講演を行った。

 鑑三の末弟順也は、1893年、開成中学校に入学、鑑三の薦めで97年に関西学院普通学部に入学し、グリークラブに所属。
99年、畑歓三、柴田勝衛とともに普通学部第7回卒業生となった。
1900年、東京陸軍砲兵工廠に就職。
08年3月渡米。
19年12月に帰国し、21年から39年まで関西学院中学部英語担当教員。
40年にはその嘱託となる。

【参照】Ⅰ 21,133,174【文献】和田洋一「内村鑑三、その弟妹、そして私」『キリスト教社会問題研究』(5)1961;小原信『内村鑑三の生涯』1992;鈴木範久『内村鑑三日録』(1-12)1992-99;『関西学院史紀要』(7)2001
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