[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
上ケ原キャンパス
関西学院の大学昇格の動きに伴って、1928年に原田の森キャンパス2万6,700坪(約88,110㎡)を320万円で譲渡し、阪神急行電鉄株式会社の仲介によって当時の兵庫県武庫郡甲東村上ケ原に7万坪(約23万1,000㎡)を55万円で取得し、そこに総工費161万7,000円で校舎、グラウンドなどが整備された。
新キャンパスの全体および各校舎の設計はW.M.ヴォーリズが主宰するヴォーリズ建築事務所、施工は竹中工務店で、同年2月に起工、ちょうど1年後の29年2月に完成し、創立40周年にあたるその年の9月28日に新キャンパス落成祝賀式が行われた。
キャンパスは甲山山麓の上ケ原台地に展開し、甲山頂上の三角点と通称芝川通り(現、学園花通り)の中心線とを結ぶ直線を軸線に定め、正門、中央芝生、時計台頂点をその線上に位置づけた。
その線の右手に宗教館、神学部、文学部(後に大学法文学部)など理念的な意味を担う建物を、左手に学院本部、中央講堂、高等商業学部(後に大学商経学部)など実学的な意味を担う建物を配置し、完全な対称を若干崩す形で設計され、スパニッシュ・ミッション・スタイルによって統一感が与えられた。
さらに左手奥には中学部、学生寄宿舎、右手には宣教師館、日本人住宅などが整えられた。
このキャンパスは果樹園から連なる公園的な開放感を持ち、C.J.L.ベーツ院長は“We have no fences.”という言葉によってこのキャンパスを評した。
上ケ原キャンパスは基本的に1929年の基本設計を活かしながら、学院の拡充・拡大とともに法人、大学、高等部、中学部などの各関連施設が相次いで増築され、関西学院メインキャンパスを形成している
新キャンパスの全体および各校舎の設計はW.M.ヴォーリズが主宰するヴォーリズ建築事務所、施工は竹中工務店で、同年2月に起工、ちょうど1年後の29年2月に完成し、創立40周年にあたるその年の9月28日に新キャンパス落成祝賀式が行われた。
キャンパスは甲山山麓の上ケ原台地に展開し、甲山頂上の三角点と通称芝川通り(現、学園花通り)の中心線とを結ぶ直線を軸線に定め、正門、中央芝生、時計台頂点をその線上に位置づけた。
その線の右手に宗教館、神学部、文学部(後に大学法文学部)など理念的な意味を担う建物を、左手に学院本部、中央講堂、高等商業学部(後に大学商経学部)など実学的な意味を担う建物を配置し、完全な対称を若干崩す形で設計され、スパニッシュ・ミッション・スタイルによって統一感が与えられた。
さらに左手奥には中学部、学生寄宿舎、右手には宣教師館、日本人住宅などが整えられた。
このキャンパスは果樹園から連なる公園的な開放感を持ち、C.J.L.ベーツ院長は“We have no fences.”という言葉によってこのキャンパスを評した。
上ケ原キャンパスは基本的に1929年の基本設計を活かしながら、学院の拡充・拡大とともに法人、大学、高等部、中学部などの各関連施設が相次いで増築され、関西学院メインキャンパスを形成している