[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
上ケ原
西宮市甲山南東に広がる仁川の扇状地として形成された台地上の地域。
元来水利的に不利な地勢で江戸時代前期に仁川からの取水などを通じて新田が開発された。
1921年、阪神急行電鉄西宝線(現、阪急電鉄今津線)の開通によって住宅地としての発展を見せるようになったが、29年に関西学院がここに移転して以後、東南部一帯には32年に神戸女子神学校(後の聖和大学、現、関西学院西宮聖和キャンパス)、33年に神戸女学院なども移り、東京都国立市に続いて第一種文教地区の指定を受け、上ケ原文教地区を形成している。
元来水利的に不利な地勢で江戸時代前期に仁川からの取水などを通じて新田が開発された。
1921年、阪神急行電鉄西宝線(現、阪急電鉄今津線)の開通によって住宅地としての発展を見せるようになったが、29年に関西学院がここに移転して以後、東南部一帯には32年に神戸女子神学校(後の聖和大学、現、関西学院西宮聖和キャンパス)、33年に神戸女学院なども移り、東京都国立市に続いて第一種文教地区の指定を受け、上ケ原文教地区を形成している。