[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
今田恵
いまだめぐみ
1894.8.26~1970.11.25
第6代院長、理事長、文学部・法文学部教授。
山口県三田尻(防府市)に生まれる。
1917年、関西学院神学部卒業後、カナダ・メソヂスト教会系の牧師を兼ねながら東京帝国大学文学部心理学科を22年に卒業した。
その年に関西学院の文学部教授に迎えられ、ハミル館に心理学研究室を開設。
56年、文学博士。
65年の定年まで一貫して関西学院の研究と教育のレベルを、特に心理学を通じて引き上げることに努めた。
29年からアメリカ、イギリスに留学、34年、大学法文学部開設にあたり教授となり、40年、H.W.アウターブリッヂ学部長の帰国に伴って法文学部長に就任。
戦時中には教務部長を兼務して神崎驥一院長・学長を助けた。
戦後の46年に法文学部から分離した文学部の部長となり、学部の独立と再建に当たった。
50年、初めて公選によって第6代院長に選任され1期4年在任。
54年にアウターブリッヂ院長就任に伴って理事長を60年まで務め、社会学、理学部の設置に尽力した。
その後、理事として学院に終生を捧げた。
W.ジェームズ(William James)の心理学を日本に紹介・研究したことによって知られ、戦前に発行された岩波文庫の翻訳書『心理学』は長く版を重ねた。
その他、『心理学』(1952)、『現代の心理学』(1958)、『心理学史』(1971)などがある。
【参照】Ⅱ 52【文献】『人文論究』15(4)1965;今田恵『人間理解と心理学』1967;今田幾代『残照』1979
山口県三田尻(防府市)に生まれる。
1917年、関西学院神学部卒業後、カナダ・メソヂスト教会系の牧師を兼ねながら東京帝国大学文学部心理学科を22年に卒業した。
その年に関西学院の文学部教授に迎えられ、ハミル館に心理学研究室を開設。
56年、文学博士。
65年の定年まで一貫して関西学院の研究と教育のレベルを、特に心理学を通じて引き上げることに努めた。
29年からアメリカ、イギリスに留学、34年、大学法文学部開設にあたり教授となり、40年、H.W.アウターブリッヂ学部長の帰国に伴って法文学部長に就任。
戦時中には教務部長を兼務して神崎驥一院長・学長を助けた。
戦後の46年に法文学部から分離した文学部の部長となり、学部の独立と再建に当たった。
50年、初めて公選によって第6代院長に選任され1期4年在任。
54年にアウターブリッヂ院長就任に伴って理事長を60年まで務め、社会学、理学部の設置に尽力した。
その後、理事として学院に終生を捧げた。
W.ジェームズ(William James)の心理学を日本に紹介・研究したことによって知られ、戦前に発行された岩波文庫の翻訳書『心理学』は長く版を重ねた。
その他、『心理学』(1952)、『現代の心理学』(1958)、『心理学史』(1971)などがある。
【参照】Ⅱ 52【文献】『人文論究』15(4)1965;今田恵『人間理解と心理学』1967;今田幾代『残照』1979