[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
陸上競技部
1917年、中学部宮本常蔵が第3回極東選手権に学院スポーツ史上初めて出場。
18年には高等学部陸上競技部が独立し、運動部(現、体育会)に正式加入した。
部員は伊達宗敏、深山武夫、渡辺文吉など、初代部長は高等商業学部教授小寺敬一であった。
その年、渡辺文吉は高障碍で学院初の日本記録を樹立、21年の第5回極東選手権では高障碍、低障害2種目で銀メダルを獲得した。
過去における個人、リレー(単独、選抜を含む)の主な戦績は、日本記録12回、日本選手権優勝13回、日本インカレ優勝16回である。
国際大会には、オリンピックに3名(ローマ大会の蛯名純、東京大会の田中章、浅井浄)、アジア大会に3名(東京大会の柳恭博、ジャカルタ大会の浅井浄、バンコク大会の佐藤泰章)、またユニバーシアード大会に8名(前田巌、浅井浄、三宅克宏、田中章、星加利樹、増田学、寺田恵、荻田大樹)が出場し、特に寺田恵はバンコク大会の女子ハーフマラソンで2位となり、国際大会で学院初の女子メダリストとなった。
1991年から実施されたスポーツ特別選抜入試により低迷していた部も復活。
99年に33年ぶりに関西インカレで7度目の男子1部総合優勝(1924年初優勝)を果たして以降、2008年、11年~13年に3連覇を達成し、関西学生陸上界をリードする強豪校となっている。
また、個人でも上記のユニバーシアード大会に出場した荻田大樹がモスクワであった世界陸上に学院初出場を果たし、田中僚もアジア陸上に現役として約半世紀ぶりに出場したほか、これまでに世界ジュニアに5名、アジアジュニアに6名が出場している。
かつては「短距離の関学」と言われてきたが、2011年からは出雲選抜大学駅伝、全日本大学対校駅伝に3年連続出場を果たし、駅伝でも関西の名門校になりつつある。
また、日本最古の大学対校戦「早関戦」(1920年開始)は、25年間の中断の後、1989年に再開され、現在では日本の学生陸上界をともに牽引するチームとなっている。
なお、卒業生は月見ヶ丘クラブに所属している。
【文献】『月見ヶ丘会報』(創刊号) 1949;『関西学院陸上競技部七十年史』1988;『関西学院大学陸上競技部八十周年記念誌』1998;『関西学院大学陸上競技部九十周年記念誌』2008
18年には高等学部陸上競技部が独立し、運動部(現、体育会)に正式加入した。
部員は伊達宗敏、深山武夫、渡辺文吉など、初代部長は高等商業学部教授小寺敬一であった。
その年、渡辺文吉は高障碍で学院初の日本記録を樹立、21年の第5回極東選手権では高障碍、低障害2種目で銀メダルを獲得した。
過去における個人、リレー(単独、選抜を含む)の主な戦績は、日本記録12回、日本選手権優勝13回、日本インカレ優勝16回である。
国際大会には、オリンピックに3名(ローマ大会の蛯名純、東京大会の田中章、浅井浄)、アジア大会に3名(東京大会の柳恭博、ジャカルタ大会の浅井浄、バンコク大会の佐藤泰章)、またユニバーシアード大会に8名(前田巌、浅井浄、三宅克宏、田中章、星加利樹、増田学、寺田恵、荻田大樹)が出場し、特に寺田恵はバンコク大会の女子ハーフマラソンで2位となり、国際大会で学院初の女子メダリストとなった。
1991年から実施されたスポーツ特別選抜入試により低迷していた部も復活。
99年に33年ぶりに関西インカレで7度目の男子1部総合優勝(1924年初優勝)を果たして以降、2008年、11年~13年に3連覇を達成し、関西学生陸上界をリードする強豪校となっている。
また、個人でも上記のユニバーシアード大会に出場した荻田大樹がモスクワであった世界陸上に学院初出場を果たし、田中僚もアジア陸上に現役として約半世紀ぶりに出場したほか、これまでに世界ジュニアに5名、アジアジュニアに6名が出場している。
かつては「短距離の関学」と言われてきたが、2011年からは出雲選抜大学駅伝、全日本大学対校駅伝に3年連続出場を果たし、駅伝でも関西の名門校になりつつある。
また、日本最古の大学対校戦「早関戦」(1920年開始)は、25年間の中断の後、1989年に再開され、現在では日本の学生陸上界をともに牽引するチームとなっている。
なお、卒業生は月見ヶ丘クラブに所属している。
【文献】『月見ヶ丘会報』(創刊号) 1949;『関西学院陸上競技部七十年史』1988;『関西学院大学陸上競技部八十周年記念誌』1998;『関西学院大学陸上競技部九十周年記念誌』2008