[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
浅田彦一
あさだひこいち
1875.11.14~1936.7.17
『太陽』編輯兼発行人。
山口県萩に生まれる。
1892年9月、関西学院基督教青年会入会。
95年3月頃、関西学院普通学部中途退学。
97から1906年まで、「京都新聞」「牟婁新聞」「報知新聞」記者。
浅田空花名で『冠詞活用法』(1901)、『動物園案内 動物児訓』(1902)を出版。
06年博文館入館。
09年1月博文館発行の『太陽』編輯兼発行人となる。
14年頃、反政友会系の「市政革正記者連合」実行委員就任。
17年『太陽』主筆に就任。
22年主筆を辞任し、23年博文館退館。
【文献】坪谷善四郎『博文館五十年史』1937;鈴木正節『博文館『太陽』の研究』1979;『関西学院史紀要』(8)2002
山口県萩に生まれる。
1892年9月、関西学院基督教青年会入会。
95年3月頃、関西学院普通学部中途退学。
97から1906年まで、「京都新聞」「牟婁新聞」「報知新聞」記者。
浅田空花名で『冠詞活用法』(1901)、『動物園案内 動物児訓』(1902)を出版。
06年博文館入館。
09年1月博文館発行の『太陽』編輯兼発行人となる。
14年頃、反政友会系の「市政革正記者連合」実行委員就任。
17年『太陽』主筆に就任。
22年主筆を辞任し、23年博文館退館。
【文献】坪谷善四郎『博文館五十年史』1937;鈴木正節『博文館『太陽』の研究』1979;『関西学院史紀要』(8)2002