[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
理事長
関西学院で理事長職が初めて設けられたのは、法人格をとるために社団が1910年に設立された時であった。
しかし関西学院社団の構成員は全員宣教師で、もっぱらアメリカ・南メソヂスト監督教会とカナダ・メソヂスト教会の合同経営における両教会からの建設献金に基づいて建設計画を実行する役割に限られていた。
そして、本来の教学と経営は、別途設けられた理事会が担当しており、ここには議長はいたが理事長はいなかった。
理事長職が本格的に設けられたのは1931年財団法人に移行した時で、院長が兼任した。
その後51年に学校法人に移行した際、理事長職は法人として必置であることから、院長職と分離して設けられたが、法人の代表である理事長は象徴的な位置にとどまり、実質的な法人の経営は教学の長でもある院長に委ねられた。
この体制が問題になったのは、1969年以降の大学紛争とその後の改革時代であった。
紛争終結に向けた「学長代行提案」によって再生が図られる中、院長制の廃止も考えられたが、結局、74年に院長が理事長を兼任することになった。
しかしながらこの体制によって一人に権限が集中することが問題化し、89年、再び理事長と院長とは分離され、97年の寄附行為改正で、理事長職は実質的な法人経営の責任を負うことを明確化し、院長は教学の象徴的責任者という形をとることになった。
これまでの理事長は財団法人時代が3代、学校法人時代が2014年現在まで14代を数えている。
【参照】Ⅰ 461;Ⅱ 55,491