[ 編集者:学院史編纂室 2014年9月28日 更新 ]
六項目要求
1960年代後半の大学紛争では、全共闘(全学共闘会議)の学生から大学当局に対してさまざまな要求が提出された。
関西学院大学における全共闘の要求のうち最もよく知られているのが「六項目要求」である。
69年1月10日付けで全学執行委員長・全共闘議長より、学院の常務会、小宮孝院長宛てに提出された要求で、その内容は、①68・69年連続学費値上げ白紙撤回、②不当処分撤回、③機動隊導入、捜査協力自己批判、④文学部学科制改編白紙撤回、⑤学館の学生自主管理、⑥以上を大衆団交で文書で確認せよ、というものであった。
「六項目要求」の背景には、1960年代に理事会が提案した新学部設置や学費値上げをめぐる一連の動きがある。
特に67年の学費値上げに反対してストライキに突入した学生の退学や停学処分に対して、学生が学院本部を占拠し院長、学長を監禁したため警察力を導入したことが、以後の紛争の争点となってきた。
学院側は常務会・院長名で「六項目要求」を全面的に拒否し、全学連絡会議で話し合うことを提案したが、この回答を不服とした全共闘はこれを受け入れず、大学紛争はその後一気に深刻さを増していった。
【参照】Ⅱ 347-353
関西学院大学における全共闘の要求のうち最もよく知られているのが「六項目要求」である。
69年1月10日付けで全学執行委員長・全共闘議長より、学院の常務会、小宮孝院長宛てに提出された要求で、その内容は、①68・69年連続学費値上げ白紙撤回、②不当処分撤回、③機動隊導入、捜査協力自己批判、④文学部学科制改編白紙撤回、⑤学館の学生自主管理、⑥以上を大衆団交で文書で確認せよ、というものであった。
「六項目要求」の背景には、1960年代に理事会が提案した新学部設置や学費値上げをめぐる一連の動きがある。
特に67年の学費値上げに反対してストライキに突入した学生の退学や停学処分に対して、学生が学院本部を占拠し院長、学長を監禁したため警察力を導入したことが、以後の紛争の争点となってきた。
学院側は常務会・院長名で「六項目要求」を全面的に拒否し、全学連絡会議で話し合うことを提案したが、この回答を不服とした全共闘はこれを受け入れず、大学紛争はその後一気に深刻さを増していった。
【参照】Ⅱ 347-353