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学院史編纂室便り

(旧誌名:『資料室便り』)
No. 11
2000年6月1日
関西学院学院史編纂室

No.11 (2000.6.1)

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学院史資料室の改組について—学院史編纂室長 山 本 栄 一

①『関西学院百年史』刊行は、学院史編纂において画期的な出来事といえる。それまでは先輩の、それも特定個人の能力と尽力によって、『40年史』『50年史』『60年史』『70年史』の4冊を発行したが、編纂室に準じる事務局を持ったのは今回初めてであった。
②学院史資料室が、1998年早々に、学院の最も象徴的な建物である時計台1階に移ったことで、資料室の今後のあり方がさまざまに検討される機会となった。その際の検討事項は次の2点であった。
第1は、学院史の資料を収集するだけでなく、次回の年史編纂の準備を続ける調査・研究を継続的に行う必要をどのように担保するか。第2は、時計台という学院が記念するべき中核的施設に位置することから、担うべき役割をどうするべきか。
この2点は、いずれも資料室を、学院の過去と現在と将来を結ぶ「場」としてつくり代えることを示唆した。
③2000年度から学院史資料室は学院史編纂室に改組され、新たに将来の学院史編纂の調査・研究機能を持つものになった。そのために研究員を置くこと、百年史発刊の並行事業であった『関西学院史紀要』を定期刊行物とすること等が新たに始まることになった。
加えて、学院所蔵の美術品調査と情報の集中管理を行い、当面、絵画についておこなう。そのための美術顧問を置く。また、かねてから学院関係者の著作を収集していた「新月文庫」を最終的に時計台に収納し、次回の学院計画において時計台全体利用の中で考えることになった。
新しい歩みにご協力をお願いします。(『関西学院史紀要』第6号より抜粋)

『関西学院史紀要』第6号の刊行

4年前に第5号を刊行後、休刊していた『関西学院史紀要』が、第6号として再刊されました。バックナンバーを含め、当紀要をご希望の方は、学院史編纂室までご連絡ください。
第3回『関学歴史サロン』の開催(対象:教職員・学生・一般)
日 時:6月7日(水)14:50~16:20
14:15より開場しますので、講演開始まで音楽とお茶をお楽しみください
場 所:西宮上ケ原キャンパス時計台2階
講 師:神田健次神学部教授
演 題:「知られざる学院史の一齣-民芸運動との関わりをめぐって-
–柳 宗悦(日本民芸運動創設者)・寿岳文章(元本学文学部教授)・外村吉之介(元倉敷民芸館館長)–

ベーツ第4代院長最後の手紙

~ベーツ元院長の手紙から明らかになったこと~
ベーツ元院長は1963年12月23日、トロント・ウエスタン病院(カナダ・オンタリオ州)にて亡くなった。86歳だった。本学には、亡くなる半年前の6月15日に当時の小宮院長に宛て書かれた書簡が、ベーツ元院長による最後の書簡として保存されている。宗教センター増改築計画の図面を受け取り、その礼状として書かれたものである。実は、このあたりからベーツ元院長の音信が急に途絶え、心配していたとの卒業生の証言もある。
ベーツ元院長が宗教センターの増改築計画を知って、大変喜び、楽しみにしていたことは、図面を受け取ったわずか1時間後にその礼状を書いていることからも推察されるが、これより5カ月前の1月23日付けの小宮院長宛の書簡の中で、ベーツ元院長はこの喜びを詳しく表現している。そして、「関西学院で過ごした日々が、我が人生最良の時でした。関西学院に関わる全てのこと、関西学院に関わる全ての人は、私にとって何より大切なものです。」と書いている。
関西学院に対する深い愛情と感謝の気持ちは、6月15日付けの最後の書簡の中にも表れている。若い頃のあの力強く美しい筆記体に比べると、少し震えているような文字で、創立70周年(1959年)の際に本学より授与された名誉博士学位をどんなに誇りに思っているかを書き記している。
ベーツ元院長に授与された名誉学位記は、創立百周年(1989年)に際して、ご遺族より本学に寄贈された。学位記と共に、その読み方をローマ字で記入した紙も残っていて、漢字の読めないベーツ元院長が日本語で書かれた学位記を手に、その読み方を教えて欲しいと言っている姿が目に浮かぶようである。
ベーツ元院長は、遺産の1/10を関西学院に寄付するよう遺言した。その遺言書は、死の前年の2月2日に書かれたものであった。遺言は執行され、1964年7月23日、第118回定例理事会において、今は亡きベーツ元院長の寄付が感謝を持って受納された。
一方、宗教センターの増改築は、ベーツ元院長の死後、1965年に完成した。その業績をしのぶため、増築部分の1階には「ベーツホール」が設けられ、ベーツ元院長の手紙の一文を入れたタブレットがはめ込まれた。工事費用の一部にと、ベーツ元院長の次男とその教会からは寄付金が、またベーツ元院長の長女からは告別式の際の供花料の一部が、関西学院に贈られている。

[ベーツ元院長最後の手紙(英文:手書き)]

1963年6月15日
関西学院院長 小 宮 孝 様

宗教センターの青焼きプリントをどうもありがとうございました。ちょうど今から1時間前に受け取りました。この計画を私は大変光栄に思います。院長や皆様のご親切を本当にありがたく思っています。
実は、ひとつお尋ねしたいことがあります。 関西学院は1959年以来、毎年名誉学位を授与していますか? もしそうなら、どなたに授与されましたか? 私は、4年前にいただいた栄誉を大変ありがたく思っています。カナダ合同教会において、3000人を超える牧師の中で、LL.D. を授与された人の数は、20人にも及びません。しかも、私の場合は、カナダ以外の国から授与された唯一のLL.D. です。関西学院は私にとって特別な名誉であり、喜びです。私は、関西学院がアカデミックな分野および宗教的な分野で示してきたすばらしいリーダーシップをうれしく思います。
私は聖歌隊に大変、興味があります。聖歌隊に様々なチャペル・サービスで歌ってもらうことはすばらしいことです。全ての人にとって、チャペルがより一層興味深くなることと確信します。
感謝を込めて、関西学院の皆様によろしく。
C.J.L.ベーツ

[最後の手紙に対する小宮院長の返事(英文:タイプ)]

1963年6月20日
ベーツ先生
ご親切なお手紙ありがとうございました。たった今受け取りましたが、お尋ねの件は、調べるまでもなく、すぐにお返事申し上げることができます。
関西学院は1959年以来、名誉学位を授与しておりません。今のところ、名誉学位授与に関して私達は大変厳しい方針で臨んでいます。名誉学位は軽々しく授与されるべきものではありません。関西学院と関係のない人間はその対象とはなりません。しかも、関西学院に対する貢献の本質とその程度と共に、貢献期間の長さが要因となります。
カナダ合同教会において、わずか20人の牧師しかLL.D. を授与されていないことを知って、興味深く思いました。そして、関西学院が授与した学位によって、ベーツ先生がこの20人の中でも特別な位置にいらっしゃることを知り、うれしく思います。このさらなる栄誉は、まさしくベーツ先生ご自身のものです。
いつまでもお元気で、そして、関西学院大学のアカデミックな活動と宗教的な活動に無限の関心をお寄せくださいますように。
関西学院院長 小宮 孝

*1959年までの関西学院大学名誉博士学位授与者は、C.J.L.ベーツ第4代院長(第1号)、H.W.アウターブリッヂ第7代院長(第2号)、神崎驥一第5代院長(第3号)である。
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『資料室便り』No.10で、院長辞任を知らせるベーツ院長の書簡について紹介したが、その中で「ヨシオ」とされていた学生が、専門部文科1年の「御所達夫君」であることが判明した(ヨシオはゴショの誤りであった)。クラス代表として「御所君」と一緒に院長室に向かった学生グループの一員であった小林信雄名誉教授の記憶によると、米国籍を持つ「御所君」の英語の流暢さに驚いたベーツ院長が名前を尋ね、書き留めていたそうである。この件はベーツ院長にとっても印象的な出来事であったらしく、娘夫婦宛の書簡だけでなく、日記にも書き残している。
「御所君」は、その後間もなく日本を去り、米国に帰った。戦争中は米軍として参戦し、戦後しばらく、東京でVOICE OF AMERICAの仕事をしていたとのことであるが、現在の消息は不明である。 (情報提供:小林信雄名誉教授)

『資料室便り』No. 1~10 総目録

No. 1(1985年12月1日)

「資料室便り」発刊によせて— 学院史資料室長 小林信雄(神学部教授)
「続学院史資料覚え書」—武藤 誠(本学名誉教授)
経済学部五十年史と学院資料・教授会記録—柚木 学(経済学部教授)
新収集資料 資料室日誌 資料室作成のマニュアル

No. 2(1986年3月31日)

学院史資料の収集について(1)-旧日本メソヂスト教会関係—-小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
カナダ・メソディスト教会と関西学院—山内一郎(神学部教授)
学院における戦時非常措置— 武藤 誠(本学名誉教授)
資料室日誌 新収集資料 編集後記

No. 3(1986年9月30日)

学院史資料の収集について(2)-海外関係—-小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
「教員適格審査」のことども—武藤 誠(本学名誉教授)
元院長御子息から貴重な遺品寄贈—藤田 允(国際センター室長)
牧師の子の思い出話—高橋信彦(本学中学部元教頭)
資料室日誌 移管および収集資料

No. 4(1987年3月30日)

学院史資料の収集について(3)-海外関係(その2)—-小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
神戸又新日報に見える創業時代の学院のことども—武藤 誠(本学名誉教授)
「児玉国之進先生卒寿記念・関西学院とともに」を書いて—米田 満(大学体育主事)
宇和島中町教会の由来—橋村 寿
資料室日誌 収集および移管資料

No. 5(1987年10月1日)

故W.H.H.ノルマン先生を偲ぶ—小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
J.W.ランバス宣教師の広島地区特に庄原と廿日市の伝道について—寺田芳徳 (比治山女子短期大学教授)
恩師たちの想い出—長久 清(関西学院 元宗教総主事・元理事)
部史紹介「関西学院グリークラブ八十年史」—山中源也(関西学院嘱託)
資料室日誌 受贈・移管・購入資料

No. 6(1988年3月20日)

「百年史」編纂ようやく軌道に乗る—小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
学院史資料としての金石文—武藤 誠(本学名誉教授)
Archivesを夢みる—川村大膳(本学名誉教授)
原田の森における私の学生時代—秋谷一郎(前関西学院同窓会ニューヨーク支部長)
卒業アルバム編集の思い出—伊藤嘉朗(NHK勤務)
資料室日誌 受贈・移管・購入資料

No. 7(1990年3月31日)

創立100周年記念出版 関西学院の100年の編集と刊行—小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
原田の森から上ケ原へ—小寺武四郎(本学名誉教授)
北米出張報告1989年8月4日~25日—小林信雄(学院史資料室長・神学部教授)
学院史資料室業務の展望—長尾文雄(学院史資料室事務長)

No. 8(1998年12月10日)

学院史資料室の事業についてのお願い—学院史資料室長 山本栄一
学院史資料室年譜(1978~1998年)
関西学院百年史編纂経過
関西学院百年史編纂事業委員会委員
『関西学院百年史』

No. 9(1999年7月1日)

『関学歴史サロン』の開催(5月13日/海老坂武教授)
『関西学院百年史通史編索引』の刊行
ポーランド・ウッジ大学に故梅田良忠教授(文学部)にちなんだ部屋が
関西学院西宮上ケ原キャンパス歴史マップ

No. 10(1999年12月3日)

『バスカム先生ご夫妻を囲む会』の開催(10月26日)
ベーツ第4代院長関係資料の調査・収集
神戸市立小磯記念美術館特別展への協力
『関学歴史サロン』開催のお知らせ(12月8日/藤田太寅教授)
ベーツ第4代院長の辞任について-ベーツ・コレクション(その1)-

 

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